ドイツ旧首都ボンを訪ねて
週末にかけてドイツの旧首都ボンを訪ねました。
この街は、ご存知のように第二次世界大戦後から約40年間
ドイツの首都として脚光を浴びてきた場所です。
今回の訪問は、この街にあるカメハ・グランド・ボンの記事を
書いたことがきっかけて、そういえば家族の中で、
私だけがボンを訪れた事がない!と思い、すぐ出かけることにしました。
ボンで是非訪問したいと思った場所は大きく分けて2つ。
一つは、音楽ゆかりの街・ロベルト・シュウーマンの終焉の地、
そして作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕地
二つ目は、旧首都という事で、政府関係機関のあった一角の散策です。
実は、ボンには今も環境省や教育省などの一部が置かれています。
最初の目的地はシューマンの終焉地。今回は電車でボンまで行ったこともあり、
すべて公共機関を利用して観光地を訪れましたが、ホテルのフロントで行き方を
聞いても、大変込み入っていますね・・・といわれ、しばらく地図とにらめっこ。
つまり、地元民は観光地を訪れていない、興味がなければ当然でかけない、
車で出かける事が多いということでしょう。でも一応名の通ったHホテルですので
やはり、フロント従業員の対応はよかったものの、曖昧な返答には少しがっかりしました。
自分でバスに乗り、運転手に行き先を聞けば、なんのことはない、簡単にシューマン終焉の場所に
到着できました。バスの中では地元の方々と雑談をし、色々情報を得ることも出来ました。
シューマンが精神を病んで晩年2年間をサナトリウムで過ごした、
その場所がSebastiansStr. 182です。
建物内部は、現在音楽図書館として利用されています。
日本で言う一階が図書館の受付で、二階にシューマンに関する展示がありました。
二階では、コンサートも随時開催されているとのことで、グランドピアノや
たくさんのイスが並んでいました。
また機会があればコンサートを是非聴きたい・・・
図書館の係員に尋ねると、日本人がよく訪れるそうです。
そのためか、日本語の情報紙は、すっかりなくなっていました!
そして、ベートーベンの生家へ。
ベートーベンが22年間過ごした家は街中にあります。
内部は記念館として開放されており、彼が使った楽器や直筆の楽譜、家具などが
二階に展示されています。
三階には、彼のウィーン時代にまつわる展示があります。
ベートーベンがウィーンで過ごしたのは、ヨーゼフ・ハイドンのもとで
作曲を勉強するためだったとか。
その後は、ボンに戻る予定が1974年ライン地方をフランスが占領し、
宮廷が解散したためウィーンに留まらざるを得なかったそうです。
三階にあるベートーベンのライフマスクとデスマスクは興味深かったです。
そういえば、以前テレビ番組のコーディネートで、ウィーン近郊の
ハイリゲンシュタットに出かけたことを思い出しました。
ベートーベンのハイリゲンシュタット遺書の家での撮影でした。
この家は、ベートーベンは、難聴や音楽活動に行き詰まり、
遺書を書いたことが知られています。
ウィーン市内には、ベートーベンの住んだ家があり、こちらも撮影した
覚えがあります。
ベートーベンゆかりの地、ボンとウィーンの両方を訪問する事ができて
感激です。
政府機関のある地区散策は、また次回お知らせします。
by foodwatcher
| 2012-07-05 18:16
| 生活情報袋