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本日は少し時間ができたので、がんばって更新しています。

ドイツに長く住んでおり、仕事で国内の世界遺産については執筆していますが、
これまでブログにて紹介はしてきませんでした。

これを機会に、これから自分でも訪問しながら、世界遺産を紹介していきたいと思います。

先日、公開になりました世界遺産は、ドイツとポーランドを結ぶ両国共有の場所です。

首都ベルリンより南東ほぼ100キロにある小さな街バード・ムスカウにある「ムスカウ庭園」。

ここは、ヘルマン・フォン・ピュックラー・ムスカウ侯爵が着手した英国様式の庭園で、園内のナイセ川にかかった橋がドイツとポーランド2国を結ぶ両国共有の世界遺産として知る人ぞ知る絶景の場所。

文筆家、冒険家、画家、庭園芸術家と多彩な才能を持った同侯爵は、18世紀から英国で流行し始めた風景式庭園に憧れてムスカウ地方の雄大な湿地帯を楽園に築きたいと夢見ていた。

1815年、自身の領主城のまわりに庭園を造り始め、30年かけて完成させた芸術作品がここ。庭園の広さはドイツ側とポーランド側あわせて約830ヘクタール。なんと英国ハイドパークの3倍以上の大きさだ。

第二次世界大戦で破壊された園内の城や橋も修復され、調和の取れた芸術庭園が見事に蘇った。ピュックラ―の哲学の道を散歩するのもよし、乗馬、カヌー、 魚釣りを楽しむのもよし、湿地帯の泥炭を利用した 泥風呂浴場の体験や橋を渡り隣国を探訪したりと夏の楽しみ方は無限だ。



日本通運欧州版ペリカン7月号寄稿・抜粋
画像・ツーリストセンター・ムスカウ公園提供
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リスト生誕200周年記念祭

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チューリンゲン州観光局提供 ©Roland Wehking

 ピアノの魔術師といわれてアイドル的な存在だったフランツ・リストが生まれて今年で200年。

 これを祝して、彼が滞在したドイツ東部のチューリンゲン州では2011年を「リスト年」とし、コンサートやコンクール、展覧会など200の音楽イベントを開催する。

 同州でのリストの活動の中心地ワイマールは、彼が宮廷楽長として1848年から59年まで過ごした地で、ピアニスト、指揮者、作曲家、教師としても活躍した街。

 バッハやベートーヴェン、後に娘婿となるワグナーなど様々な作曲家の作品をピアノ曲に編曲したリストは、演奏旅行で次々と作品を紹介し、伝達手段のなかったヨーロッパに音楽を浸透させた。

 6月18日から7月9日にはチューリンゲン・フェスティバル「リスト一色」がワイマールを中心に周辺の街で開かれ、世界一流の音楽家を招いて数多くのコンサートが行われる。

 記念祭のハイライトは、6月24日から10月30日までシラー博物館とワイマール城博物館で開催される展覧会「フランツ・リスト―ワイマールのヨーロッパ人」。

 天才的な技巧を持っていたことから6本指の持ち主という噂も信じられていた美男リストは、伯爵夫人たちとのロマンスにも花を咲かせ、私生活でも華やかで波乱万丈な生涯を送った。

 今年の夏は、貴婦人たちを失神させたリストの甘いピアノ曲に酔い痺れるのはいかが。

日本通運ペリカン欧州版2月号寄稿
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by foodwatcher | 2011-04-07 21:05 | 仕事
すっかりご無沙汰しました。

2月中旬、ご縁があって関西のTV制作局よりの依頼が入り、リサーチとコーディネートをしておりました。3月はじめ1週間ほど、シュトゥットガルト周辺で撮影、取材をしてました。

今回もいろいろな場所を訪問しましたがハイライトのひとつは、メルセデスベンツ博物館でした。

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さすがドイツを代表する高級車だけあって、博物館は目を見張るほど立派でとても豪華だった。個人的には近郊にあるポルシェ博物館にも寄りたかったのだが、今回は見送りました。

撮影中は、日帰りでデュッセルドルフへも出向きました。
ちょうどカーニバルの時期で、ICEドイツの新幹線は超満員。
4人分の座席指定もできず、空席があることを祈りながら乗車したのですが、
なんと車内は東京の朝のラッシュアワー並みで立っている人も今まで経験したことないほどの混雑ようでした。

ところが・・・発車してまもなく・・・・いつのまにか車掌さんが私の前に突然現れたのです。

この車掌さんと雑談をしていくうちに思わぬ方向に話が進んでいきました・・・・

「せっかく日本からTVチームが訪問しているのにこんなに混雑して残念です」と私。
「なぜ、座席指定しなかったの?」と車掌さん。

「指定したくても一杯でできなかったのです。ファーストクラスはまだ指定できたようですが、私1人ならともかく、4人分ですのでとても高くて無理です」と私。
「乗車券を拝見させてください」と車掌さん。

「どうぞ」と私。
乗車券を検札してしばらくすると「ではファーストクラスの席にどうぞ」と車掌さん。

「あの撮影班は全部で4人いるのですが・・・」と私。
「全員でどうぞ」と車掌さん。

というわけで、たち続けている乗客の間を縫ってファーストクラスの車両まで歩くこと5分ほど。
荷物を抱えて歩く5分間はとても長く感じましたが、革張りでゆったりとした座席を見たとたん顔も緩みました。

撮影班もどうなっているのか事態が飲み込めず、それでも大喜びで座った次第です。

そんなわけで3時間弱の電車の旅もゆったりと快適にすごすことができました。
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by foodwatcher | 2011-03-18 00:43 | 仕事

我が家の周辺はドイツのトスカナといわれる場所で、冬は寒いものの雪はほとんど降らない。それが今年は、異例の大雪に見舞われ交通麻痺で道路も空路も混乱しています。

毎朝目を覚ますたびに、まずは外を眺める事が日課となった。どれくらい雪が降っているのかな~と。

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クリスマス前のショッピングにはやはり車で出かけることが多く、移動中よくプラハで4年間生活していた事を思い出す。あの頃は、毎冬雪との戦いでした!マイナス10度や20度は日常の事で、雪が降っても道路はそのままでした。

子供たちのドイツ学校にはもちろん通学バスなどなく、学校の近郊に住んでいたが、やはり送り迎えは私の役目でした。学校に行く途中、ひとつ坂があり、いつも滑らないように祈りながら走ったものです。それと一番恐ろしかったのは、自分の車には冬用タイヤを装備してあっても、チェコの人たちは、冬でも夏用タイヤで走行していたことです。相手が突っ込んでくれば、避けようもないので、本当に不安な毎日だった。

そんな思いをしながら、家に入ると暖房が入って真夏のような暖かさ・暑さ!。プラハの人たちは家の中ではTシャツで過ごしている人が多かった。

話し変わって、冬はやはり温泉が一番ですね。
日本通運欧州版ペリカン12月号にドイツのヴィースバーデンの巻頭記事を寄稿しました。私の中ではヴィースバーデンといえば、ドイツ連邦統計局があることがまず頭に浮かびます。

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フランクフルトはドイツの玄関といわれ、ヘッセン州の州都とよく思われるそうですが、州都はヴィースバーデンなのです。

温泉地といえば文豪や音楽家が好んで保養した事で有名ですが、この街にもやはり多くの人が逗留しました。ここの温泉は、塩化ナトリウムを多く含むことから、リューマチや呼吸器官治療に有効とのこと。

温泉地にかかせないカジノは、ここヴィースバーデンにもあります。ロシアの文豪ドストエフスキーも長期逗留をし、カジノでルーレットに熱中して大敗した。のちに、そのときの苦い体験をもとに、ロマン長編小説「賭博者」を書き上げたそうだ。

音楽家といえばブラームスがこの街で「第三交響曲」を完成させました。また、ワグナーは、この街で歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲にいそしんだそうだ。

少し息抜きに温泉に出かけたいと思うが、大雪で交通渋滞が続くので移動はやめておこう。我が家のバスタブでクラシック音楽を聞きながら、今夜もゆっくりしたい。
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by foodwatcher | 2010-12-22 19:10 | 生活情報袋
なんと1ヶ月以上もブログ更新しておりませんでした。
この間、仕事や諸々のスケジュールを調整して帰国するぞ!と意気込んでいました。
それが、この大雪でまたもや日本訪問はお預けになりました。今年の春、アイスランドの火山灰噴火のため、欠航となり、今年2度目の帰国中止です。

11月末ごろから雪が毎日降り出し、これってもしかしたら12月まで続くのかな~と毎日家の前の雪かきをしながら思っていました。

1週間でもいいので帰国と思い、ぎりぎりまで航空券予約を待っていましたが、やはり無理のようであきらめました。日本は遠いなあ~。

フランクフルトで空港に泊まりたくないし、チェックインできないとなると、人ごみの中で重い荷物を抱えて移動するのも疲れます。

ちなみに、ルフトハンザのチェックインは、空港についたら電車を降り、エスカレーターを上った右側にすぐあり、大変うれしいです。そのため、重いスーツケースを抱えて歩く必要が全くありません。

さらに、3年ほど前、ルフトハンザでスチュワード(この言葉今も使われているのかしら?)をされている日本人客室乗務員の取材をしたときに「ルフトハンザ機は、他社と比べると安全面では1.5倍の投資をしている」と教えていただきました。

見えない部分に投資をする!これが気に入りました。これを知ってからは、ルフトハンザのチケットが高額である背景がわかりました。でも、安価なチケット情報がニュースレターで知ることができ、それ以来ルフトハンザに病みつきになっています。

家人はいつも空港まで送ってくれていましたが、最近は電車で一人空港に向かってます。

というのも、フランクフルト空港までの交通渋滞がひどいため、道中のいらいらや家人がまた帰路に渋滞にあうのもかわいそうですし。。。我が家から70kmの道のりとはいえ往復のガソリン代もばかになりませんし、環境上もよくありません。

前書きが長くなりましたが、そんなわけで、先週末から、私の仕事部屋の整理をしています。書類や、画像、山のように積んであった取材先からいただいた書籍やパンフレットを整理し始めました。

書籍といえば、昨年TV番組のコーディネーターをした際、オーストリアで、兄弟で経営されているレストランでいただいた料理の本がでてきました。 レストラン・ホテル・オバウアーはこちらをごらんください。

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右がお兄さんのカールさん、左はルーディさんです。

料理のお手前を見せていただいたり、食材仕入先を一緒に訪問したりしました。そして、帰りにいただいたお土産の香草入りアルプス岩塩に、それ以来はまっております。

料理をするときには使わないで、食べるときに使ってくださいといわれ、それ以来料理の味は薄めにして、食卓で各自の好みだけ振りかけています。

その後、出かけるとあちこちで塩を買ってきて楽しんでいます。最近、凝っているのは天然ヒマラヤ岩塩です。薄いピンク色の粒粒がたまりません。

ちなみに、「食べる事と、生きる事って同じことかもしれない」・・・これは料理家・コウケンテツさんのお言葉です。クーヨン11月号にドイツ・フライブルクから「世界の子供の本専門店」を寄稿しました。このときにいただいた掲載誌に、この言葉がありました。
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by foodwatcher | 2010-12-20 19:09 | 仕事
前回に引き続きロマンチック街道の旅をお伝えします。

さて、ロマンチック街道の起点はヴュルツブルックという事は、皆さんご存知だと思います。では、この街のどこが出発点かご存知ですか? 以下をどうぞ。

ユネスコ世界文化遺産のレジデンツ宮殿 

 ところで、ヴュルツブルクはロマンチック街道の起点といわれるが、街のどこにその起点があるかご存知だろうか。

 1981年世界遺産に登録されたレジデンツ宮殿である。  

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 ここは、18世紀バロック建築の傑作とされる三翼式の宮殿で、当時のヨーロッパ建築の主流であったフランスの宮殿建築、ウィーンの皇帝バロック様式、北イタリアの宮殿建築など宗教関係の建築技術が凝縮された芸術作品だ。

 宮殿正面の広場〈レジデンツプラッツ〉にたたずんでこの建物を目の前にすると、司教座として、宗教の権威を壮大かつ華麗に誇示した当時の様子が伝わってくるようだ。ちなみに宮殿の建物面積は、約15,000平方メートルというから、日本の国会議事堂(13,358平方メートル)より少し大きめのサイズだ。

 バロック建築の最高峰といわれるこの宮殿で重要な人物は、3人といわれる。

 天才的建築家バルタザール・ノイマン、フレスコ画家ジョヴァンニ・バディスタ・ティエポロ、ヴュルツブルク領主大司教フィリップ・フランツ・ショーンボルンである。

 この街出身の教会と宮殿の建築家ノイマンは、領主大司教ショーンボルンの居城であったこの宮殿をドイツやフランス、イタリアやウィーンより、から多くの建築家や画家の協力を得て完成させた。1720年に定礎し1744年に建物を完成させた。だが、その2年後には領主大司教ショーンボルンは没してしまった。内装にはそれから40年ほどの歳月が費やされたそうだ。 

 ガイドに従って宮殿中に入っていくと、まず目をうばわれるのは2階まで続く「トレッペンハウス・階段の間」。ここは、柱のない広大な吹き抜けで、天井には、べネチアの画家ティエポロの優雅で壮観な一枚画が描かれている。

 およそ600平方メートルにも及ぶこのフレスコ画は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの4大陸が描かれており、世界最大級の天井画を目にすると、訪問客から歓声が一斉に上がった。オーストラリアが描かれていないのは、この時代にはまだ発見されていなかったからという。 

 階段を上っていくと、まず「白の間」に到着。ここは、白漆喰細工の装飾されている広間。ロココ様式「鏡の間」は、100枚の鏡で飾られている広間で、金箔、銀箔、擬似大理石を使った室内装飾芸術の至宝である。「皇帝の間」にある皇帝フリードリッヒ1世の結婚式の絵は前出ティエポロによって描かれたとのこと。この皇帝の間と宮廷庭園では、毎夏モーツアルト音楽祭が開催されるそうだ。

 ちなみに、前項で第二次世界大戦でヴュルツブルクの街は破壊されたと記したが、この爆撃で破壊されなかったのがこの宮殿内の「階段の間、白の間、皇帝の間、庭園の間」であった。

 南翼にある「宮廷教会」は、豪華なバロック様式の内装で見ごたえがある。市民の結婚式場としてこの街で最も人気のある場所で、特に週末には多くのカップルがここで式をあげるそうだ。私が見学した日は水曜日だったが、宮殿広場で運よく一組のカップルに出会えて、幸せのおすそ分けをしてもらったような気分になった。

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 宮殿内は、ガイドの案内で本翼中央館のメイン入り口から始まり、40の部屋を閲覧できるが、宮殿全体で340ほどの部屋があるそうだ。南棟の建物の一部は、現在ヴュルツブルク大学の博物館「マーティン・フォン・ワーグナー」として彫像とアンティーク収集品が展示されており、無料で入場できる。

 殿内の見学が終わると、建物の南側と東側にある庭園へ向かった。バロック宮廷庭園は、宮殿建物面積の3倍ほどの大きさだ。庭園造形物や華麗なロココ式の錬鉄の飾り扉などが楽しめて、市民の憩いの場としても人気がある。
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by foodwatcher | 2010-11-18 00:31 | 生活情報袋
ドイツの観光スポットとして最も人気のある街道『ロマンチック街道』が今年で60周年を迎えた。

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日本では昨年から雑誌や広告が大々的に出ているようだが、ドイツ政府観光局によると、日本人観光客は年間20万人以上にも上るそうだ。

長くドイツに住んでいるのに、この街道上の街をほとんど訪問していない私は、一年発起して、暇に任せて出かけてみることにした。 

観光ガイドやツアーでは知る事のできない秘話をお伝えします。
まずは、ロマンチック街道起点の街ヴュルツブルクです。

上の画像は、ロマンチック街道の標識です。見えにくいかもしれませんが、右下に日本語でロマンチック街道と記されています。

ちなみにこの街道沿線上の街では、日本語の観光スポット標識があちこちで見受けられます。日本人の観光客が多いことの証明ですね。

ロマンチック街道とは

 ロマンチック街道の起源は、ローマ帝国時代にローマ人たちによって作られた街道で、ローマと結ぶために整備されたという。中世には交易路として使われた街道で、商人や職人たちが沿線上の街に集まるようになり、ロココやバロック文化の中心地として栄えた。

  第二次世界大戦後、ドイツは敗戦国というネガティブな印象を払拭したいと、この地域一帯の観光地化に着手した。米国の将校たちが家族と共にこの地方で盛んに休暇を過ごしていたことに目をつけ、国内外の訪問客を魅了する観光地として活性化させたいと、1950年、ヴュルツブルク、アウグスブルク、フッセンの市長が共同で「ロマンチック街道協会」を設立した。

  日本でも1979年代以降、ドイツを代表する観光スポットとして注目を浴びるようになり、ロマンチック街道の名は徐々に世界中に浸透していった。ドイツには政府観光局や地方自治体が主体となりテーマを設定した観光街道(メルヘン街道、ゲーテ街道、ワイン街道など)があるが、その中でもロマンチック街道は一番古い街道である。

 この街道は、ドイツ中部のヴュルツブルクからアルプスの入り口フッセンまで28の街を結ぶバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州にまたがる全長約366キロのルートをさす。

司教の街ヴュルツブルク 
 
 バイエルン州のヴュルツブルクは、ミュンヘン、ニュルンベルク、アウグスブルクに続く4番目に大きな都市で、フランケン地方(ドイツ南西部から南ドイツの北部)の中心都市である。日本では特にロマンチック街道の起点の街、フランケンワインの名産地としてよく知られているが、教会、ゴシックとバロック建築の豊富な大学の街としても有名だ。 

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 紀元前約1000年には、すでに現在のマリエンブルク要塞がある丘マリエンベルク(聖母の山)にケルト人の砦、丘の麓には集落があったらしい。

 司教〈カトリック教会の位階のひとつ〉の管轄区となった8世紀ころには、キリスト教の布教者たちがこの街に足しげく通った。11世紀には、皇帝コンラート2世から貨幣を鋳造する権利や税金を取る権利、市場を開く権利などの都市権を得て繁栄した。

 12世紀になると、バルバロッサ(あか髭)と呼ばれた皇帝フリードリッヒ1世(ホーエンシュタウフェン家)が、ヴュルツブルクの司教ヘロルドを公爵に任じたことから司教領主「フランケン公」として勢力を増していった。ワインの生産、集荷、と販売の中心地となり、マイン川、ライン川、ドナウ川と3つの川を運河で繋いでいた事から、ヨーロッパ中に物資を集散させる水運の街として発展したようだ。

 1815年にバイエルン王国に併合、第二次世界大戦末期1945年爆撃を受け、この街のほとんどが破壊した。

 前書きが長くなってしまったが、まず、街全体の様子を知りたいと思い、ヴュルツブルク中央駅から出発する市内観光バスに乗った。1人10ユーロでおよそ2時間のツアー、同乗したガイドが街の歴史や観光スポットを細かく説明してくれた。

 尖塔が目を引くフランケン地方のワインの守護聖人キリアンを祭った大聖堂、ノイミュンスター教会、アウグスティーナ教会や旧市庁舎などお勧めの観光スポットを経てバスが街を1周。その後バスが出発点の駅にもどる帰路にレジデンツ広場で降りて、この街第一の人気スポットレジデンツ宮殿に向かった。

続く
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by foodwatcher | 2010-11-11 00:45 | 生活情報袋
ドイツにはまだまだ訪れたい場所がたくさんある。

そのひとつがこの海洋博物館。
日通ペリカン欧州誌9月号でヨーロッパの街から「シュトラールズンド」を紹介しました。

北ドイツ最大の海洋博物館

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©Klaus Andrews  

北ドイツにあるシュトラールズントは、バルト海に面したハンザ都市として13世紀から栄えた港町。北のベネチアとも呼ばれるこの街のお勧め観光スポットは、街に点在する4つの海洋博物館だろう。なかでも750年以上前に建てられたカタリーナ修道院を利用した「自然科学博物館」と、2008年にオープンした新館「大洋館・オツェアネウム水族館」は、この地方最大のアトラクションだ。・・・・・・
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by foodwatcher | 2010-09-17 20:00 | 仕事
スイス・バーゼルはよく足を運ぶ街。

義姉が住んでいる事から、何かにつけ訪問する。
そんなわけで私がスイスの中で一番に足を踏み入れた街だ。

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©Andreas Gerth

日通ペリカン欧州誌8月号の巻頭記事を担当しました。その一部をご紹介します。

スイス北西部にあるバーゼルは、スランス、ドイツ、スイスと3つの国境が交じり合うライン川上流の街。
狭い国土に4つの国語と異なる文化を持つスイスでは伝統や食生活など言語圏により異なるが、バーゼルは、「文化の首都」として様々な顔をもつ。ライン川沿線の特別なロケーションが魅力を醸し出す国際都市を探訪してみよう。

ライン川のまんなか橋から旧市街を散策
 
街の中央を流れるライン川は、バーゼルの旧市街地を右岸のクラインバーゼル(小バーゼル)と左岸のグロースバーゼル(大バーゼル)に二分している。経済活動に重要な港湾機能と見本市会場があるクラインバーゼル、商業や行政の機 能を兼ねて市の人口の大部分が集中しているグロースバーゼルと二つのバーゼルは、この街の中核をなしている。

ライン川をはさんで大小のバーゼルを結ぶ橋で有名なのが「まんなか橋」だ。1225年に建設されたこの橋は、何世紀にも渡りバーゼルの伝統行事の舞台であった。ここを渡ってアイゼンガッセ(鉄の小道)をまっすぐ行くと、マルクト広場に到着する。この広場では日曜日以外、毎日新鮮な野菜や果物、花などが販売されており、バーゼル市民の生活が伺える。

この広場でひときわ目立つのは、16世紀初頭に建てられた赤い市庁舎だ。大きな時計塔、壁面のフレスコ画そして3つのアーチ型入り口が特徴的なルネッサンスとゴシック様式の建物で、特に会議室や趣のある中庭、ロマンチックなアーケードや壮大な塔は必見だ。

ふたつの塔が目印のミュンスター(大聖堂)は、市庁舎と肩を並べる街のシンボルだ。ライン川沿いの小高い丘に聳え立つゴシックとロマネスク様式の大聖堂は、赤い砂岩で築かれた壁と緑色と黄色のタイルを付け加えた屋根瓦が見事なコントラストを醸し出 している。115段の階段を登れば、塔からはバーゼル市街や黒い森を一望できるのもうれしい。・・・・・・・・・・・・・
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by foodwatcher | 2010-09-17 19:54 | 仕事

今、サッカーで世界の注目を集めているアフリカ!

この地でプロジェクトを立ち上げ、がんばっているアメリカ人を取材しました。
米レース自転車フレームメーカーとして活躍するグレイグ・カルフィー氏は、この業界で名の通ったフレームビルダーです。彼の真摯な姿をお届けします。

WEB経済メディア JB Press
レース自転車メーカーの「エコ」な途上国支援・世界最高峰の技術で竹の自転車を作ろう
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by foodwatcher | 2010-06-21 18:31 | 仕事