昨年、ドイツのリサーチとコーディネートを担当させていただいた、魔女の秘密展が大阪で3月7日土曜日いよいよ開催となりました。 

ちなみに、Yahoo News では別のテーマで一般公開前の様子が公開されているのを知りました。

さて、時を同じく、というか全く偶然でしょうか,独ZDFで魔女狩り、魔女裁判について非常に興味深いドキュメンタリー番組が3月2日に放映されました。

番組終了後には、ドイツの歴史家による当時の解説が詳しくあり、こちらも素晴らしい内容でした。

欧州の魔女狩りはスイスで始まったといわれていますが、魔女と宣告されてなくなった人は欧州で6万人にも上るといいます。現在、バンベルクのようにオリジナル資料が残っていない街も多々あると思うので、実際に魔女狩りの被害にあった人の数は計り知れません。

この番組で取り上げられたバイエルン州のバンベルクは、大司教都市、ビール、そして大学都市として有名な街です。旧市街はユネスコの「人類の文化・自然遺産」として登録されています。

番組は1630年にスポットを当てて、魔女裁判を紹介しています。バンベルクの魔女狩りのピークは、1626年から1631年で、この間、なんと1000人ほどが魔女狩りでなくなったそうで、当時のバンベルク住民の1割だったということです。

なぜバンベルクがこの番組で取り上げられたかというと、ドイツ国内で当時の裁判におけるオリジナル資料が一番多く保存されているからとのことです。

ヴィキぺディアによれば、
バンベルクは魔女狩りの中心地の一つであった。魔女狩りの時代、バンベルク大司教ヨハン・ゴットフリート1世・フォン・アシュハウゼン(1609年 - 1622年)及び次代のヨハン・ゲオルク2世・フークス・フォン・ドルンハイム(1623年 - 1633年)の指導下、大規模な魔女狩りが行われた。

同様の大規模な魔女狩りは、ヴュルツブルク大司教領やマインツ選帝侯領など、ドイツ南部で行われた。
1612/1613年から1617/1618年の間に、バンベルク司教領で300人が薪の上で炎に焼かれた。特に1617年には、この司教領で102人の人々が処刑された。最も有名な犠牲者は、市長のヨハネス・ユニウスで、1628年8月に魔術師監獄での拷問を受け死亡した。


とあります。

私が知らなかったのは、拷問の回数です。歴史家の解説によれば、拷問は3回までが原則だったとか。その間、無罪を主張し続けた(そして、生き残れた)人は解放されるべきだったようです。

とはいえ、当時は決まりがあってないようなもの。なかには拷問を8回受けた人もいたそうです。ただただその強靭な意志、魔女であるというウソを認めなかった姿は想像を絶します。

「魔女の展覧会」をテーマにドイツではロケハン、本ロケと2度に渡り、魔女の歴史を追いながら取材をしました。訪問する先々で拷問器具を見るたびに、色々想像してしまい、私には、拷問に耐えた人がいたということに驚愕しました。

番組の中でも拷問シーンがいくつかありましたが、やはり目を閉じてしまいました。拷問を受けた人の悲鳴を聞くだけで、どんなにむごいか、簡単に想像できます。

そもそも魔女といわれた市民のほとんどは口コミ、つまり密告で検挙されたのだという。家族内でも告発があり、子供が母親を魔女といったり、もちろんそれまで親しくしていた隣人や助産婦(産婦が助けを求めたため、手助けに出向いたが、おなかの中で胎児は死産だったことを恨んでなど)が魔女であるしるしと告発することもあったようです。これらのシーンが番組には見事に再現されていました。

番組の中では、父親の経営する当時の薬局を手伝っていた女性が、魔女として告発されました。薬草を使って、病状を和らげることで人々に信頼されていたこの女性も、いつの間にか、憎しみの対象となったようです。

当時は、病気の流行に太刀打ちできなかったり、6月に雪が降ったりという悪天候の影響で農作物も全滅と、市民の怒りや恨みつらみのはけ口として、その責任を魔女に負わせるに至ったといわれています。

日本では、往々にして助産婦イコール魔女、あるいは薬草を用いて治療した人、(昔の薬剤師と想像すればいいだろう)これらの人たちイコール魔女という説もあるようですが、番組に出てきた歴史家によれば、それは違うという。結論として、あくまでも魔女といわれた人の中に、たまたま助産婦や薬草に長けていた人がいたというだけのこととか。

当時は、一般市民が森に入っていくことは禁止されていたという日本の専門家もいるようですが、これもどうやら違う模様。もちろんその町の富豪や聖職者所有の森には立ち入ることはできませんでしたが、一般の森に足を踏み入れることは許されていたとのことです。

ですので、森の中で薬草やきのこを摘んだり、森への散歩はできたそうです。これについては、ドイツのある博物館で学芸員にインタビューした際も、同じ答え・・・「森に入ることは許されていた。ただし所有者のある場所へは不可」が返ってきました。

今回、お仕事をいただいて、魔女についてリサーチしていくうちに、色々な本に出会いました。

なかでも、魔女の鉄槌(Malleus Maleficarum)はハインリッヒ・クラーマーによって書かれた魔女に関する本です。もちろん内容は現代版です。中世における魔女理解のエッセンスといわれており、魔女に関しては最も有名な本です。

また、ロケでご一緒した山田五郎さんは、気さくな方でコーディネートとして大変仕事を進めやすかった方です。やはり西洋美術専門家だけあって、その知識の広さには、私も色々と勉強させていただきました。

同じ釜の飯を食うではありませんが、夜中のケルンを歩きやっと夕食にありついたのが12時頃と、クレイジーなスケジュールでしたが、今思うと懐かしい限りです。

「魔女の秘密展」は、大阪終了(5月10日)後、新潟、名古屋、浜松、広島、福岡で開催されるそうです。秘密展ホームページで紹介されている魔女街道は、一般観光客が足を運ぶにはちょっとアクセスしにくい場所もありますが、ひと味違ったテーマを追ってドイツの旅をするのもいいかもしれません。
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by foodwatcher | 2015-03-09 06:03 | 生活情報袋
ブログを書かなくなって半年ほど過ぎてしまいました。

仕事や家族のことで奔走していて、書きたいことは山ほどあったのに
なかなかブログまで手が回らず、気がつけば2014年も終わりに。

今年一年を振り返ってみたくなり、書いてみました。

2014年、仕事の上でも私事でもたくさんの感動がありました。

仕事を中心に振り返ってみたいと思います。
今年の仕事は、フランクフルトで始まって、フランクフルトで終了しました。

2月と3月は、フランクフルト見本市ならびにドイツ国内での
市場調査のため、リサーチとコーディネートを担当しました。
見本市会場では、色々な人とお話しました。

政府機関からのドイツ市場調査というのは、初めてでして、ちょっとドキドキ。

日本のキャリアウーマンの方々の素晴らしいフォローのおかげで、無事終了。
何が待ちうけているのか、毎回新しい仕事を受け持たせていただく時には
興味一杯なのですが、この時だけは、規模も違うし、不安もありましたが
はじめてみれば、過去多数経験した番組制作の手順や人物インタビューと
同じ要領で進めていくことができ、ホッとしました。

何でも、恐れず挑戦してみるものです。
自分がこれまで経験してきたことが、決して無駄になっていないことを
つくづく感じました。仕事を担当しているときは、辛くて、眠くて、本当に
大変なことも、しばらくして振り返れば、懐かしいだけの素敵な思い出となります。

この後は、ドイツ政観のプレスツワーに参加しました。
ケルンとデュッセルドルフのカーニバルがテーマでした。
日本からもメディア関係の方が訪独しました。
この方とは、昨年の夏のプレスツワーともご一緒しました。
昨夏はミュンヘン、シュトゥットガルト、ルストでした。

いわゆるユースホステスは、ドイツが発祥の地。
ミュンヘンではドイツ国内ではじめてユースホステルに宿泊しました。
といっても、二人部屋に一人で泊まったので、窮屈な思いもせず、
清潔で快適な時間を過ごすことができました。

話しが逸れてしまいましたが、6月から9月の4ヶ月は
来年、日本で開催される展覧会における番組制作のリサーチ、
コーディネートを担当しました。

北はハンブルクから、南はミュンヘンまで貸切バスで
あちこち撮影、取材に走り回りました。

展覧会については、来年またご報告したいと思います。

魔女の秘密展

そうそう、前後しますが、合間を縫って執筆もしていました。
インタビュー記事で、特に印象に残った方は、ワルター・コール氏です。
元首相ヘルムット・コール氏の長男ということで、
インタビューもかなり緊張していたのですが、
とても気さくな方でした。

今もニュースレターをいただきくたびに、ワルター氏の思いや
過去のことに触れ、心に響く言葉の数々に、長い長い
レターを一気読みしています。

偉大な首相を父に持つ

10月にベルリン観光局からメールが入りました。
なんと、ベルリンの壁25周年の記念スペシャルイベントに招待してくださると
言うではありませんか!

そして11月7日から9日からはベルリンでイベントに参加しました。
ベルリンまでは自宅から国鉄、ICEで5時間ほど。
乗り換えもないし、本を読んだり、PCで仕事をしていれば
アット言う間に目的地に着くだろうと思い、国鉄チケットの手配を
お願いしました。

折しも、ドイツ国鉄のストで出発直前になり、空路で行くことに変更。

予想していた通り、ベルリンは大変な混雑。
宿泊ホテルはブランデンブルク門近くのホテルでしたので
周辺へのアクセスには本当に便利でした。

といっても、全日プログラムが組まれていたので、自由時間はほんの少しでした。
ベルリンへは、何回も訪問したけど、見学する場所はたくさんあるので
帰ってくると、また行きたくなります。

11月後半2週間は、帰国してました。
そのうち、2週間目は仕事で色々な方と会うことができ、充実した時間でした。

なかでも、11月ベルリンの壁崩壊記念イベントをご一緒した日本人女性ジャーナリストお二人に
東京で再会できたのは、本当に嬉しかったです。

さあ、12月に入リ、山済みになっていた仕事を片付けねばと思っていた矢先、
今度は、フランクフルトでホテルオープンのイベントセレモニーがあるので行って欲しいと
メールが入りました。

日本から戻ったばかりで、時差も調整できていないまま、フランクフルトの
ホテルへ直行。米国資本のホテルですので、米国からのジャーナリストが
たくさん参加していました。

このイベントもプログラムが組まれており、市内観光をしたり
フランクフルト観光局からのガイドさんつきでクリスマスマーケットを
見学に行ったりと、ハードスケジュールながらも楽しい時を過ごしました。

もちろんその間には、プレス会議やオープニングセレモニーと
盛りだくさんの予定が組まれており、それを消化するのがやっとの毎日でした。
空港近くの新ホテルの泊まり心地は最高でした。

クリスマス直前、22日に最後の記事を出稿して、やっと今年の仕事も終わり。

そして、
シュトレンを焼くことができました。

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クリスマスクッキーは、今年は焼けないままでした。

本来は、11月に入ったら、クッキーを焼き始めるのですが・・・・
ここ数年、焼き始める時期が12月にずれ込んでいます。

クリスマスは家族4人で食卓を囲み、一年を振り返りながらの談話。
楽しいひと時でした。

なかでも、息子が国家試験に合格して、歯科医になったことは
至福のニュースでした。

息子曰く、

パパ、ママ、二人の協力がなければ、ここまでこれなかった。
本当に有難う・・・

この言葉で、今年の疲れも吹っ飛びました!


この5年間に、一体何回フライブルクへ行っただろう。
料理を作って持っていったり、落ち込んでいるときには、
励ましに行ったり、医学部学生より過密なスケジュールで
セメスターホリデーもあったかなかったかという事が
何年も続き、その間を縫って、いや、よくフライブルクへ通いました。

特に今年後半の6ヶ月に及ぶ国家試験中は、息子と一喜一憂の日々でした。
試験も無事終了、合格、そしてフライブルク大学病院での
アシスタントドクターの職も手に入れたようです。

という事は、今後もしばらく息子を訪ねてフライブルクへ通うことが続きそうです。

クリスマスの食卓で息子が言うには、すでにヘッドハンティングの打診が
あったとか。ある歯科総合病院から問い合わせがあったそうです。
本人は、大学病院に残りたいので断ったそうです。

いやはや、仕事では、書きたいことがたくさんありますが、今日はこの辺で。

日本は今頃、新年を迎えているのでしょう。

ドイツはこれからです。
年越しそばと、シャンペン、そして簡単な夕食の準備にかかりたいと思います。
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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年も2週間過ぎてしまいました。

クリスマスから今まで、しばらく自宅で休養していました。
なぜかというと、昨年末からちょっと体調を崩してしまったからです。

ことのはじまりは、週末以外、毎日通っているスポーツジムで起きたあることから。
一番お気に入りのコース、ステップアエロビックス上級クラスで、
私は、思いもよらず倒れてしまったのです。

ちなみに、このコースは1時間あり、振り付けも毎週違ううえ、ステップの周りを
ぐるぐる入ったり来たりと集中力と体力が必要なかなり激しいスポーツです。

まあ、それが面白くて気分転換になり、毎週火曜日を楽しみにしているのですが。。。

私がふらふらして倒れそうになった場所に、運よく男性の参加者がいて
私を受け止めてくれたので、怪我もなく大事に至りませんでした。

余談ですけど、彼は私の日本語コースの生徒さん。
生徒さんといっても、40代の男性で、
一緒におすしを食べに行ったりしている仲間です。

このふらふらは、またいつもの低血圧からだろうと思っていたのが
その後、何日たってもめまいが回復しないので、医師のもとへ。
PCで仕事をしていると、非常に気分が悪くなるので、困った困った・・・

結果は、平衡感覚の不調ということです。
原因はストレスからくるという、耳鼻科の病気のようです。
2週間安静してくださいということで、
ゆっくりゆっくり過ごすことを命じられたのです。

クリスマスには、大学生の子供たちも自宅に戻りました。
なんと息子もストレスから耳鳴りがして、調子が悪いというのです。

しばらく様子をみたところ、彼の耳鳴りも一向によくならず、
そのうち炎症を起こしてしまった・・・
クリスマス休暇中に大学病院へ行くことになりました。

彼によると、大学では昼食時間が15分という日が何日もあったり、
患者を診察したり、夜からのセミナーがあったりで、
大変なスケジュールの毎日だったとのこと。
もちろん、試験もちょくちょくあるので、勉強もせねばならずで
いやはや、お疲れ様です。

まあ、それが今の彼のやるべきことなので、がんばってくださいね。
親としては、内心かなり心配ですが、冷静に見守ることにしています。

息子も私も耳が原因で、苦しんだ年末年始でした。
いずれにしても、健康第一ということを改めて思い知らされました。

私はようやく、少しづつ何事にも対してやる気がまた出てきたという
ところです。
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昨日12月20日は、グリム童話が初出版されて200周年という
記念ある日でした。

他の仕事で忙しかったので、全く気にかけていなかったところ、
夫が、「お~ィ、FAZフランクフルトアルゲマイネ紙にグリム童話のことが
載っている! 兄弟の中には、この童話のイラストを書いた人もいたのか・・・」と。

「はいはい、ありがとう。
今年も日本通運欧州版ペリカンで色々執筆させていただいたので
すでに記事として公開済み。私もそのこと書いたのよ」と私。

ペリカンヨーロッパの街角から6月号より。

胸躍るメルヘンの世界へ
グリム兄弟博物館


 
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世界中で愛読されているグリム童話が出版されて今年で200周年を迎えた。
これを記念してグリム兄弟博物館では、新しいコンセプトによるさらに充実した展示「兄弟の生涯と作品、
画家の弟ルートヴィッヒ・エミール」と「子どもと家庭のメルへン集」が開催され、人気を集めている。

館内の見どころは、ユネスコ世界記録遺産に登録されたグリム童話の手書き原稿。
初版本には「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」「ブレーメンの音楽隊」など156編が収められているが、
現在では約250話を読むことができる。

また、あまり知られていない画家の弟ルートヴィッヒに関する展示もあるのでお見逃しなく。
ルードヴィッヒは、同童話集で挿絵を手がけたことでも有名だ。

同博物館は、ヤコブとヴィルヘルム兄弟が30年以上過ごした
ドイツ中部カッセル市にあるべレビュー宮殿内にあり、
1959 年カッセル市とグリム兄弟協会により設立された。

グリム童話の愛称で知られる作品「子供と家庭のメルヒェン集」は、
兄弟がドイツの伝承昔話を後世に残したいと身近な女性たちから昔話を収集し、
それを編集したものだそうだ。

 
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フランクフルトに近い兄弟生誕地ハーナウから北海 のブレーメンまでの
約600キロに及ぶグリム兄弟の足跡とメルヘンゆかりの地を巡る
「ドイツ・メルヘン街道」の散策やサイクリングもお勧めしたい。

画像は、公開記事用としてカッセル市に承諾を得て許可をいただいたものです。
そのため、転写・転用をしないでくださいね。
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by foodwatcher | 2012-12-21 19:14 | 生活情報袋
もう1ヶ月以上ブログ更新できないままでした。
10月はじめにフランクフルト書籍見本市があり、
その少し前からかなりスケジュールが込み合ってました。

やっと、今週末は息抜き出来そうです。
というか、また頚椎症の痛みがドット出てきて
昨日は最悪、息抜きせざる終えなくなったのです。

また薬を飲む羽目になり、薬漬けになってしまうのではと
思いつつ、やはり痛みには勝てないです。

それとも、ホームドクターへ出向き、
注射を打ってもらうほうが回復が早かったかもと
思いましたが、後の祭り。週末は休みです。

ドクターのお話が出てきたところで、さて、タイトルにあります
秀才だけが医師に向いているのか!
お時間あればごらんになってください。

今回はこのTMSについてだけスポットを当ててを記載しましたが、
ドイツのギムナジウムや大学入学については
非常に込み入っています。

まずのTMSですが、16州独自の教育制度の下で行われる
ギムナジウム在学中の成績結果の格差や大学入学資格試験・
アビトゥア  (Hochschuleignungsprüfung, Abitur)の成績を
客観的に審査することを目的として70年代より導入されました。

そして記事中にあるSfH ですが、
2010年よりZentralstelle für die Vergabe von Studienplätzen(ZVS)が
名前を改めた機関です。
ちなみにZVS中央学籍配分機関は、1972年に発足しました。

以前は、医学関係学部だけではなく、いくつかの学部もまずこの
SfHへ願書を提出せねばなりませんでしたが、現在は医学関係だけです。

それは、各大学の学部が独自に合格者の成績ラインを決めて
生徒を選定しているからです。

例えば、ハイデルベルク大学物理学部、ダルムシュタット大学経営学部、
カールスルーへ大学やマンハイム大学の経営学部も今ではかなり
優秀な成績を収めた志願者しか入れない。ということはそれだけ
人気があるということだろう。

これには、昨年ドイツの成人男子(18歳)に課されていた徴兵制度が中止となり、
大学志願者が急増したことも背景にあります。

また、ギムナジウムがこれまでほとんど9年制だったのが、
一部8年制となり、進学希望者が倍になったこともあります。

TMSテストがあり、医学部進学にも寛大ですが、それでも医学部合格は難関です。
そして入学してからが大変です。夏休みも他の学部よりグッと少ないし、
上級になるにつれて、やっぱり昼食時間もないようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話変わって、今朝雪が降ってきました!
庭のもみじが毎日赤くなっていくのを楽しみしていたのに、
もう冬の到来!とびっくりしました。

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この画像、なんだか暗い感じですが、朝9時過ぎに撮りました。
残念ながら舞い落ちてくる雪は、この画像ではちょっと確認できませんね。
今日は、夏時間の最後の日なのに、太陽を見ることは無理のようです。

庭の手入れに来てもらっているおじさんにも断りの電話を入れました。
この寒さじゃ、大変です。冬を向かえる前の庭の整備は今年できるのでしょうか?

夫が昨晩慌ててレモンの木を車庫に入れてくれて正解でした。
明日から冬時間、寒い日々が続きそうです。
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by foodwatcher | 2012-10-27 18:45 | 仕事

ドイツの大学生は、10人に1人が国外からの学生だという。
アメリカ、イギリス、オーストラリアと同じく、ドイツは外国人学生にとって人気のある留学地とか。

ただし、本国の大学制度と色々異なることが多く、ドイツの大学に馴染むまで忍耐が必要なようだ。
これはドイツに限ったことではないのだろうが、やはり言葉の問題や異なる文化など
色々な背景があるようだ。

18万人ほどの外国人学生のうち、結婚している学生は2割、子供を持つ学生は1割ほど。
彼らがドイツで勉学する目的は、後々の就職活動に有利だからという。

奨学金やアルバイト、家族の援助など月額平均725ユーロで生活費や諸々をやりくりしているそうだ。
一方、ドイツ人の大学生は、月平均812ユーロという統計。

ドイツの大学は学費もほぼないし、ほとんどの大学が国立のため、
経費も日本に比べて信じられないほどお手ごろ。

それも人気の一因かもしれない。
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by foodwatcher | 2012-09-21 18:09 | 知恵袋
昨年のドイツにおける医療ミスは6400件!
公的健康保険組合が確認した分だけでも4068件で、増加傾向にあるそうだ。

オペ総数を把握していないので、一体このミスの件数が全体的に見てどのくらいなのか、
そして他国に比べて多いのか少ないのかはここでは議論できないが、
いずれにしてもミスは恐ろしい。

ちなみに、患者から直接申告された苦情は、年間4万件ほどと推測されている。

そういえば、歯学部で勉強中の息子がそろそろ患者の治療に入る。
万が一のために、特別保険に入る必要があるとか。

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治療もそうだが、中でも彼は口腔外科にとても興味があるようで、
知人の外科医や歯科医に出向き、時間さえあれば手術の見学をしている。
7~8時間かかる大手術も彼にとってはどれも勉強になり、食事なしでも
苦にならないという。いつもおなかをすかしている彼なのに・・・。

それだけ没頭できる分野を勉強していることは、親としてはうれしいことなのだが、
時々息子がする手術や実技の話には耳を塞いでいる私です。

理解できないこともあるが、何よりとても現実的で鳥肌が立ち、気分が悪くなるからです。
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by foodwatcher | 2012-09-18 17:54 | 生活情報袋

週末にかけてドイツの旧首都ボンを訪ねました。

この街は、ご存知のように第二次世界大戦後から約40年間
ドイツの首都として脚光を浴びてきた場所です。

今回の訪問は、この街にあるカメハ・グランド・ボンの記事を
書いたことがきっかけて、そういえば家族の中で、
私だけがボンを訪れた事がない!と思い、すぐ出かけることにしました。

ボンで是非訪問したいと思った場所は大きく分けて2つ。
一つは、音楽ゆかりの街・ロベルト・シュウーマンの終焉の地、
そして作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕地

二つ目は、旧首都という事で、政府関係機関のあった一角の散策です。
実は、ボンには今も環境省や教育省などの一部が置かれています。

最初の目的地はシューマンの終焉地。今回は電車でボンまで行ったこともあり、
すべて公共機関を利用して観光地を訪れましたが、ホテルのフロントで行き方を
聞いても、大変込み入っていますね・・・といわれ、しばらく地図とにらめっこ。

つまり、地元民は観光地を訪れていない、興味がなければ当然でかけない、
車で出かける事が多いということでしょう。でも一応名の通ったHホテルですので
やはり、フロント従業員の対応はよかったものの、曖昧な返答には少しがっかりしました。

自分でバスに乗り、運転手に行き先を聞けば、なんのことはない、簡単にシューマン終焉の場所に
到着できました。バスの中では地元の方々と雑談をし、色々情報を得ることも出来ました。

シューマンが精神を病んで晩年2年間をサナトリウムで過ごした、
その場所がSebastiansStr. 182です。

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建物内部は、現在音楽図書館として利用されています。
日本で言う一階が図書館の受付で、二階にシューマンに関する展示がありました。

二階では、コンサートも随時開催されているとのことで、グランドピアノや
たくさんのイスが並んでいました。
また機会があればコンサートを是非聴きたい・・・

図書館の係員に尋ねると、日本人がよく訪れるそうです。
そのためか、日本語の情報紙は、すっかりなくなっていました!

そして、ベートーベンの生家へ。
ベートーベンが22年間過ごした家は街中にあります。
内部は記念館として開放されており、彼が使った楽器や直筆の楽譜、家具などが
二階に展示されています。

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三階には、彼のウィーン時代にまつわる展示があります。
ベートーベンがウィーンで過ごしたのは、ヨーゼフ・ハイドンのもとで
作曲を勉強するためだったとか。

その後は、ボンに戻る予定が1974年ライン地方をフランスが占領し、
宮廷が解散したためウィーンに留まらざるを得なかったそうです。

三階にあるベートーベンのライフマスクとデスマスクは興味深かったです。

そういえば、以前テレビ番組のコーディネートで、ウィーン近郊の
ハイリゲンシュタットに出かけたことを思い出しました。
ベートーベンのハイリゲンシュタット遺書の家での撮影でした。
この家は、ベートーベンは、難聴や音楽活動に行き詰まり、
遺書を書いたことが知られています。

ウィーン市内には、ベートーベンの住んだ家があり、こちらも撮影した
覚えがあります。

ベートーベンゆかりの地、ボンとウィーンの両方を訪問する事ができて
感激です。

政府機関のある地区散策は、また次回お知らせします。
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by foodwatcher | 2012-07-05 18:16 | 生活情報袋
Excite Bit 投稿コネタ 最新お題投稿!

ドイツの若者たちに一番人気のあるホテル?と聞くと、いったいどこ?どんなユニークなホテル?5星なの?などと想像するかもしれません。

何のことはない、正解は母親のいる自宅「ホテルママ」なのです。

以前、アルコム8月号にて「家族再考・・・世界の家族はどうなっている?」にドイツより寄稿し、ブログでも内容を一部紹介しました。

ドイツでは18歳で成人となります。

個人主義が強く、親は人生の早い段階で子供の考え方や行動に介入するのをやめて、個人として尊重する。飲酒にしても、喫煙にしても、親は健康に悪いと目を光らせてはいるものの、最終的な判断は子供たちになるのです。

ほとんどの子供たちは義務教育修了後に実家を出ます。大学にあまりお金がかからないこともあるのだろうが、「大学生になったら家を出る!」は親も子供も当然のこととして受け止めているのです。

ところが近年、成人になっても自宅に居残る「ホテルママ族」が増加中!

家事や洗濯などすべて母親に任せて、家賃も要らない、余暇時間たっぷりの生活をする若者が注目を浴びている。特に男性に多いそうだ。

「ホテルママ族」の増加を反映して、自宅で生活中の青年を取材したTV番組リアリティショーまで放映されるほど。

アルコムへ寄稿した時点ではこのホテルママ族は、24歳以上の男性の5割近くがまだ自宅で生活していると報告しました。

しかし、今年初めの連邦統計局報告によると、なんと18歳から24歳の男性71%がホテルママを利用、一方、同年代の女性は57%に上るそうです。

若者たちが自宅を出て生活することイコール自立とはもちろんいえませんが、早期自立は、すでに昔の常識になったのでしょうか。あるいは、下宿をすることでかさむ出費を節約するための対策なのかもしれません。

いずれにせよ、個人主義が強いとはいえ、家族の絆も重要視されています。家族は、大きな精神的支えとして貴重な存在である事は確かなようです。

ちなみに、我が家の子供は二人とも大学生。娘と息子にこの「ホテルママ」の感想を聞くと「信じられない!親元で生活するなんて私たちには考えられない!」とのことでした。

「親の干渉はもうごめん!」という子供たちの声が聞こえてくるようです。
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by foodwatcher | 2012-01-19 17:44 | トレンド袋

年末年始に時間を見つけて、我が家で購読している雑誌の山を整理しました。
読みたかった記事がでてくる、でてくる・・・、ああもっと時間があればじっくり読むことが出来るのにと思いつつ、ななめ読みばかりしています。

そこで面白い記事を見つけました。

ドイツの歯科医についての報告がSternのタイトル記事でありました。
わが息子が歯学部ということもあり、とても興味深く読みました。

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結論から言えば、歯医者の請求書は良くわからん、3件に1件が間違っているらしいということです。

間違っているということは、もちろん患者が必要以上に高い診療費を払っているというのです。

私も年に2回、歯石を取ってもらったり、いわゆる歯の健康診断に出かけてますが、保険が利かないため、請求書が送られてきます。1回100ユーロほどです。でもそのおかげで、虫歯は一本もありません。

しかし、毎回送られてくる請求書は、診断ナンバーや処置が高度に難しい等と記されていて、こんなナンバーを書かれても素人には理解できるはずがないと思いつつ支払っています。

Stern 記事の中で、患者の不満は色々記載されてましたが、良い歯科医の見分け方アドバイスがありました。

1.診察室が清潔なこと(これはいうまでもありませんが)
2.歯科医が患者一人ひとりとコンタクトをとっていること。助手にまかせっきりでないこと
3・助手が処置をする場合、患者に事前にその旨を伝えること
4.難解な専門用語を言われても素人にはわからない、質問をすること、手術や処置に際しては、必ず書式説明を入手すること
5.医師が進める処置は、他にも処置方法があるのか聞いてみること
5.診療や診断に不信感を持った場合は、必ず他の専門医を訪問して、意見を聞く、比較する(これは歯科医に限ったことではありません)

などなどです。

日本では歯科医がたくさんいると聞きますが、ドイツでは歯科医はまだまだ有望株の職業です。

以前、息子の通っているフライブルク大学歯学部について書きました。
そのとき、歯学部についていけなくて医学部に変わる生徒が多いといったところ、何人かのかたから、日本では医学部に入ったもののついていけなくて歯学部に変わる・・・ドイツでは歯学部ってそんなに難しいんですかという質問を受けました。

息子に確認してみると、フライブルク大学歯学部の場合は、ドイツ内でも特別のようです。
学生数が40名とかなり狭き門である上、例えば歯学部の解剖学講義は、医学部生と一緒に受けているそうです。

当然試験の範囲も歯学専門だけでなく身体全般の解剖学が問われることになります。他の学部が何週間も夏休みがあるのに、息子はいつも数週間遅れて休みに入り、講義が始まるのも、決まって他の学部より1週間早いのです。

今年の夏からは、朝7時にクリニックに入り、夕方は10時ごろになって帰宅できると息子。お昼も食べる時間もないそうです。医者の不養生!にならないことを祈っています。

そのため、フライブルク歯学部を卒業し、国家試験に合格した暁には、身体全般にわたる処方薬を患者に出すことが出来るということです。他の歯学部卒業者は、歯に関係する処方薬のみ処方箋に書くことしかできないそうです。
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by foodwatcher | 2012-01-13 01:15 | 生活情報袋