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先週後半から北欧を襲っていた暴風でハンブルクのエルベ川沿いでは、
洪水が高さ6メートルに達し、フィッシュマルクトが浸水しました。

ドイツ北部各地で倒れた木が線路をふさぎ、鉄道のダイヤは大幅に乱れ、
足止めを食った人達もたくさんいたとのことです。

ある観光客は、帰国できなくなったので、ハンブルクをもう少し満喫しますと楽観的な回答を。
でもビジネスでハンブルク周辺を訪れている人はそんな悠長な返事も出来なかったでしょう。

その直前までTV番組ロケで取材班とハンブルクに滞在していた私ですが、
ロケは12月にという声も挙がっていたので、ぞっとしました。

もしかしたら訪独されても、撮影が全く出来なかったかもしれない・・・危機寸前でした!

ちなみに、番組公開は年明け1月に。直前になったら、またお知らせします。

ハンブルクでは学校の多くが休校となり、クリスマス市の露店は営業を中止。
また、ベルリンの大統領府前の高さ13メートルの巨大クリスマスツリーが
倒れたという情報も入っています。

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画像はハンブルク駅構内にて。ここしばらくロケの準備に追われていて、今年はクリスマスを
考える暇がなかった。

普段は11月になったら焼きはじめるクリスマスクッキーは、まだひとつも焼いていない・・・。
恒例のシュトレンもまだです・・・・

でも食べるものはあふれるほどあるので、あせって焼く必要もないと開き直り。

毎年クッキーもたくさん作り、1月後半まで食べきれずにいるので、今年は
夫に低カロリークッキーと子ども達の好きなクッキーを1品づつ作ることにしました。

ロケから返り、疲れきっている私を思って、外に食べに行こうという夫がレストランに
テーブル予約を入れると、「一杯です」とのこと。

そうか、クリスマスの季節到来でどこも一杯のようです。まあ、直前に予約を入れて
席がとれるというのもありえないとはわかっていたものの、ちょっとがっかり。

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諦めて家にあるもので何とか用意。やはり我が家のご飯はおいしい!
豚ヒレ肉とカラフルなシュペッツレパスタ、サラダ、そして美味しいワインで幸せ!
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by foodwatcher | 2013-12-09 17:59 | 仕事
以前、精子ドナーの問題でお知らせしましたが、
その後、この裁判で勝訴したサラさんが実の父親と対面しました。

匿名精子ドナーの父親とついに対面!
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by foodwatcher | 2013-07-02 17:57 | 仕事

yahoo 個人ニュース記事です。

しばらく更新しませんでしたが、最近公開の中から2件ご紹介します。

ドイツ人気観光地2013 これから訪独する人へお勧めのスポット


「スカイスクレーパーフェスティバル」 天空から眺めるフランクフルトの街

6月21日、ドイツで夏が本格的に開始して、温度も一気に上がりました。
来週からまた、夏は一休み、肌寒い日々が続くようです。
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by foodwatcher | 2013-06-23 15:41 | 仕事

記事公開になりました。

世界のトップミュージシャンを魅了する
「ドイツのストラディヴァリウス」


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我が家においでいただいた時のイェンス・リッター氏です。
まずはシャンペンでお出迎え!

時間がないというリッター氏に、それなら食事を一緒にしませんかと誘い、
夕食を共にしました。

食事の用意をしながら取材をしたため、私は一体何を食べたのか
あんまり覚えていません・・・・日本食だったことは間違いありませんけど。

後記

この記事を入稿する前に、リッター氏へ最終確認のため電話を入れました。
私自身が充分把握していなかった点をいくつか訪ねたかったからです。

1時間後に商談で出かけるという、あわただしい中で色々お話を伺った。
最後にリッター氏曰く、

「これからスイスへ行ってきます。米歌手ビヨンセに会ってきます」

ビヨンセってあの歌姫ですよね・・・・

リッター氏にはじめてお目にかかったのは、5年前のこと。
ANA機内放送用の番組制作のお手伝いをした時に
スタッフにリッター氏を紹介した時のことです。

あれ以来、リッター氏は、着実にビジネスを拡大されているようで
頼もしい限りです。
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by foodwatcher | 2013-05-30 15:34 | 仕事
ヒトラーがベジタリアンだったという説は、以前からあったようだ。
それを裏付ける事実を語り始めた一人のドイツ人女性がいる。
ヒトラーの毒味役として、死の恐怖に震撼し続けたマルゴット・ヴェルクさん(95)だ。


ヒトラーはベジタリアンでした

料理はどれも美味でした。アスパラガス、エキゾチックな果物、
本物のバターやコー ヒー、新鮮な野菜も豊富に使われた料理で、
一般庶民が口にすることの出来ない食材を口にすることが出来たのです。

しかしその味を満喫することはできませんでした。
一口飲み込むごとに、これが最後になるかもしれないと震えていました・・・
マルゴットさんは当時を振り返り、話し始めた。

豪華な料理をヒトラーが食する前に、毒味をするのがマルゴットさんはじめ
合計15人の若い女性(20代)だった。
2年半、どんな思いでこの役目を務めたのか、マルゴットさんの証言は続く。

それは1941年冬のこと。マルゴットさん(24)は、
ベルリン・シュマルゲンドルフに両親と一緒に生活していた。

その実家が爆弾で破壊さ れてしまったため、マルゴットさんは
オストプロイセン(東プロイセン・現在、その大部分はポーランドとロシア、
北端の一部がリトアニアの統治下)にあった 夫の両親の家へ非難した。

1933年に結婚した夫カールは、軍人として召集されたため、
爆弾が落ちた時には不在だった。夫の両親宅へ逃げ込むしか選択肢がなかった。

この義父母家の所在地がマルゴットさんのその後の人生を大きく変えるとは、
夢にも思っていなったと振り返る。

義父母の家からわずか2,5キロほど離れた場所にヒトラーの総統大本営
ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)があったことを知ったのは、引越し後のことだった。
その街の市長もナチだったそうだ。

やっと義父母の家に落ち着いたと思った矢先、目の前にSS(ナチス親衛隊・Schutzstaffel)が現れた。
「一緒に来い!」とSSにいわれ、マルゴットさんはついていくしかなかった。

彼女が到着したのは、ナチス大本営近くにあるバラック小屋だった。
この小屋の2階(日本式だと3階)に、ヒトラーの食する料理を調理するキッチンがあった。

マルゴットさんは、このキッチンで毒味役として働くことになったのだ。
その当時、連合軍がヒトラーを毒殺するという噂が立っていたため、毒味役が必要だった。

「肉を使った料理はありませんでした。ヒトラーはベジタリアンでした」と、マルゴットさん。

「料理は美味しかった、というか、本当に絶品でした。でも、それを満喫することはできなかった・・・」
料理を口にするたびに死ぬかもしれないと恐怖に慄いていた。

毒味後、その料理が安全とわかると、SSはヒトラーの待つ本営に運び込んでいたという。

毒味役を言いつかった女性たちは、それぞれ自宅で過ごし、毒味が必要な時に召集されたそうだ。

毎朝8時になると、義父母家の前にSSが現れ、叫んだ。「マルゴット、起きろ!」。
そしてSSは、マルゴットさんをキッチンへ連れて行った。

毒味をしたのは、ヒトラーが大本営ヴォルフスシャンツェに滞在していた時だけだった。
毒味役として仕えた2年半の間、マルゴットさんはヒトラーを一度も見たことがなかったという。

シュタウフェンベルクの暗殺計画ですべてが変わった


1944年、ドイツ陸軍の国内予備軍参謀長シュタウフェンベルクは、
ヒトラー暗殺計画を目論み、総統大本営ヴォルフスシャンツェに時限爆弾を落とした。

「ヒトラーが死んだ!」と誰かが叫んだ。だが、ヒトラーは、軽症を負っただけで生き延びた。

この暗殺計画により、大本営周辺の警備が一段と強化された。
毒味役だった女性たちも自宅から通うことは禁止され、
大本営近くの旧学校校舎で生活をすることになった。

まるで、檻に閉じ込められた動物のようだった、と淡々と語るマルゴットさん。
ある晩、生涯忘れることのできない事件が起きた。

はしごをよじ登って一人のSSが、旧学校校舎内のマルゴットさんの部屋に忍び込んできたのだ。
そしてマルゴットさんを強姦した。

「あの時ほど、無力に感じたことはなかった・・・・」と、マルゴットさんの声に戦慄が走る。

後日、ソビエト赤軍がナチ大本営から数キロ離れた場所にやってきたことがわかると、
ある中尉が毒味役の女性たちに、「逃げろ!」といって、彼女たちを解放した。

マルゴットさんは、この中尉のおかげで命拾いをしたことに感謝している。

戦争終了後、ベルリンで偶然その中尉に遭遇した。
彼は、毒味役の女性たちはロシア兵隊に全員銃殺されたらしいと語った。

マルゴットさんは、ある医師宅の地下に隠れ、生活を始めた。
折しも、逃亡者を抹殺するためSSがその医師宅へ押し入って来た。
だが、この時も運よく、マルゴットさんはその場を逃れて命拾いをした。 

赤軍がベルリンにやって来た


実家のあったシュマルゲンドルフにマルゴットさんが戻ると、
ベルリンにやってきた赤軍ロシア兵に腕をつかまれた。

そして2週間にも及び、そのロシア兵はマルゴットさんを強姦し続けた。
兵士の暴行と残忍な行為により、マルゴットさんは子どもを産めない身体となってしまった。

「あの時、本当にどうしたらいいかわからなかった。命を絶とうと思った」と、声を震わせるマルゴットさん。

1946年、夫カールさんに再会した時から、またマルゴットさんに希望と生きる力がよみがえった。

戦場での辛辣な体験と拘留期間を過ごした夫は、
その壮絶な体験を少しづつ妻マルゴットさんに語り始めたという。

その後、二人は34年間楽しい夫婦生活を過ごしたそうだ。

「ユーモアは忘れていませんよ」

生死を賭けたすざましい人生を過ごしてきたにも関わらず、
マルゴットさんは、いつも陽気に過ごし笑顔を忘れないよう心がけているそうだ。

過去は過去、事実として受け止めて、あまりドラマチックに考えないことが
マルゴットさんの生きる術だという。

マルゴットさんは、これまで一度も暗い過去を話すことはなかった。
自分の恥部をさらけ出すことに抵抗を感じていたからだ。

今回、自身の過去を話すきっかけとなったのは、95歳になったマルゴットさんの自宅へ、
地方紙ジャーナリストが祝福のためインタビューに訪れた時だ。

これを機会に、マルゴットさんはかっての体験を明かすことにした。

「私はただ過去を話しただけです。ヒトラーは本当に残虐だった」

・・・・・・・・・・・・・
このインタビューは、昨年末、ベルリン西部のシュマルゲンドルフの
マルゴットさん宅で行われました。

現在住んでいるこの家は、彼女の実家です。つまり95年前、
彼女が生まれた場所・部屋で今マルゴットさんは生活しています。

さて、ドイツをもっと知りたいあなたへ!

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、ヒトラーはブラウナウ生まれのオーストリア人です。

ヴィキぺディアによれば、オーストリアはドイツ民族の一部と見なされていた為、
ヒトラーもドイツ人とされていたようです。

また、3歳の時、家族とドイツ南部のパッサウに引越しした、
後にドイツ人に帰化した、というような説もあるようです。

ドイツに滞在後、ウィーンに戻ったヒトラーは、受験には失敗したのですが、
ウィーン美術アカデミーで勉学したかったようです。

もし、ウィーン美術アカデミーの入学が許されていたなら、
ヒトラーはウィーンに滞在したでしょう。

そうすれば、歴史は全く違ったものになっていたかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この記事はYahooNews 個人
シュピッツナーゲル典子のドイツをもっと知りたいあなたへに寄稿した記事です。

こちらへどうぞ
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by foodwatcher | 2013-04-17 18:19 | 生活情報袋
記事公開になりました。

私の父親は誰?精子ドナー開示裁判で勝訴のドイツ女性が巻き起こした旋風

精子ドナーの開示については、日本でも今年初めに話題になったようですね。
人工授精で生まれたと知った医師の加藤英明さんが実の親を知りたいと
名乗り出て、注目を集めていました。

日本の報道には私も非常に興味をもっていました。
というのも、ドイツでも昨年末からサラさんの出生の秘密記事が
メディアで公開されていたからです。

それが、この2月6日に匿名は不可という判決が出たことから
一挙にサラさんは脚光を浴びたのです。

匿名精子ドナーの開示については、本当に難しい問題です。
情報を知ることで喜ぶ人、困る人、今後どのような解決策を
打ち出していくのか目が離せません。
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by foodwatcher | 2013-02-27 18:18 | 仕事

Japan Business Press から久しぶりの公開記事です。

医師不足が起こした悲劇?
ドクターフランケンシュタインの医療ミスで震撼するドイツ

この原稿を書き終わった時点では情報が錯綜していて、
いったいこの先どうなるんだろうと思っていました。
色々あるのだけれど、それはまたの機会に。

話変わって、昨年末から平衡感覚の失調でふらふらが
続いてました。

ホームドクターから平衡感覚うんぬんという診断を受けたのですが、
やはり気になったので、耳鼻科で徹底的にあらゆるテストを
してもらいました。

そして、先週末に出てきた結論は、

「平衡感覚には全く問題ありませんよ!」ということでした。

その報告に喜んだものの、なんだかホームドクターが信用できなくなった・・・・
彼は私の説明した話から、平衡感覚を持ち出したのだろうけど、
どう解釈したらいいのだろうか。

もう20年以上もお付き合いしているホームドクター。
彼の家族とは子供の年齢も似たようなもので、子供を通しての付き合いや
病気の時も本当にお世話になっている。

でも、フランケンシュタインの記事ではないけど、別の専門家の意見を聞くのは
本当に大切とつくづく思った。

ホームドクターの出した処方箋で買い込んだ薬は、
女の直感で2錠服用しただけでした。ふらふらがなおるまで
服用するように言われたけど、やめておいて本当よかった・・・。

実は、その薬を買う時に、いつも行く薬局の経営者である友人
薬剤師の様子が、いつもと違ってた。

おかしいな・・という空気を察した私は、その場で色々質問するのをやめた。

薬剤師の彼女も、その薬の名を聞くのははじめて、販売するのもはじめてと
私は理解したが、医師が出した処方箋に薬剤師はやはり口は出せない!

薬を手に入れてから説明書を読むと、さらにいやな予感が・・・・

でも、苦しい時の神頼みではないけど、病気で体が弱っているときは、
医師の言葉は以外と簡単に信じてしまうのも事実だろう。

最終的に私が悩んでいたふらふらの原因は、背中の痛みや
頚椎症と関係があるようだ。

ふらふらは、脊椎骨からきている・・・・これは、耳鼻科ドクターも言った言葉だった。

後日、友人の薬剤師と話す機会があって、
私は、「前回の薬、2錠服用したら、胃が痛くなったので服用やめた」と報告。

胃が痛くなったのは気のせいかもしれなかったけど、話をどう切り出したらいいか
迷っていた時のとっさの返答だった。

そして彼女曰く、「そうね、服用やめといてよかったね。気分の持ちようでも
ずいぶん症状は変わるし、適度に体を動かすことで回復することもあるし・・・」

ふらふらの原因が判明してから、私は、しばらく休んでいたアエロビックス上級クラスでまた汗かいてます!
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by foodwatcher | 2013-01-30 21:04 | 仕事

少し前のお話ですが、
朝日新聞出版のAERA誌 にて、シュピールベルク氏インタビュー記事が
公開となりました。

日本の底力と題した中では、外国人の声が世界各国から
予定していた以上にたくさん集まったため、本当に小さな記事となりました。

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いつ取材のお願いをしても、心よく受けてくださるシュピールベルク氏に
感謝です!

シュピールベルク氏をご存知ない方に少しお伝えしますと、
2011年3月11日に日本旅行中に津波に飲まれたドイツ人家族として
一躍脚光を浴びることになった方々です。

そういえば、昨年の今頃は、あるテレビ番組のコーディネーターとして奔走してました。
同氏へのインタビュー取材が手紙を書いてお願いしたことからやっと可能となり、
デュッセルドルフへ出向き取材する準備で追われてました。

この番組をきっかけとして、ドイツ側TV局の方々とも知り合いになることができました。
この出会いを大切にしたいと思ってます。

3.11からまもなく2年が過ぎようとしている。
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by foodwatcher | 2013-01-30 20:24 | 仕事

先週のことになりますが、ベルリンへちょっと仕事を兼ねて行ってきました。

以前ベルリンを訪れたのは夏のことだったので、
今回冬の寒い中、いったいどうなるものか?と思ったものの、それなりに満足しました。

宿泊先のホテルでこんな素敵なクリスマスツリーを見かけました。
ツリーと手前にある円形の飾りは、ポインセチア!
造花でなくて、すべて自然のものでした!

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このホテルの最上階にはフィットネスセンターがあります。
プールやサウナからベルリンの街並みが一望できました!

普段は、節約している私ですが、旅行に出た時は奮発して贅沢します。
プールとサウナ設備があることを条件に、いつもオンラインでブッキングしますが、
自分へのプレゼントとしても、気分転換としても最高です。

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今回は、時間があまりなかったことと、
雪がちらつき、寒かったこともあり、市内観光バスで見物をしました。
窓から眺める風景は、また違った視点で色々なものが目につき面白かった。
3時間弱のバス見学もアッという間に終わりました。

この市内観光券は、2日間有効だったが、一日しか使わなかったので残念!

また、ホテル近郊のソニーセンターにも何度か足を運びました。
本物のクリスマスツリーではなかったものの、それなりに素敵でした。

ベルリン訪問、次回は、また夏に行ってみたいです。
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by foodwatcher | 2012-12-08 19:54 |

お仕事のお知らせです。

ソーラージャーナル誌にアフリカで設置されたソーラーキオスクに
ついて執筆しました。

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by foodwatcher | 2012-11-19 17:58 | 仕事