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バイエルン州ミュンヘンのオクトーバーフェストといえばビールの祭典です。

日本では10月(オクトーバー)でなくても、ちょくちょくオクトーバーフェストが
あちこちで開催されているようで、ちょっと拍子抜け。

いずれにせよ、ビール一人当たりの消費量はバイエルン州という印象を受けそうですが、
実はザクセン州が1位なのです。こちらに公開記事があります。

ビール純粋例導入から5世紀、ドイツで一番のん兵衛はザクセン州!

ビアガーデンで飲む一杯が一層美味しいこの頃です。
でも今週は天気があまりスッキリせず、肌寒い日が続いています。
# by foodwatcher | 2015-06-19 19:49
先日書きました記事について。

ドイツ最低賃金法導入で得をした人、損をした人

2015年1月より最低賃金1時間8.50ユーロ(約1200円)がドイツ国内全労働者と全産業で導入された。貧富の差を改善すべく開始された最低賃金法だが、ここに来て数々の問題が浮上している。
得をした人・370万人
損をした人・約24万人
損をした人その2・雇用者の抱える問題、そしてしわ寄せは消費者にも

こちらでコメントをいただいたように、損をした人の多くは飲食業そして
個人農家が大きな直撃を受けているようです。

そもそも最低賃金の導入は、1時間3ユーロとか4ユーロなどという
信じられない賃金で仕事をしている方たちにもっと良い待遇をという大きな目的があった。

しかし、そんな人たちの多い東部ドイツで、失職者が増えているという皮肉な結果となった。

最低賃金導入においては、ガブリエル経済・エネルギー相が「個人消費を後押しする」と
予想していたのに対し、Ifo経済研究所や金融業界専門家は「パートタイムの職が失われる」と
懸念し、冷ややかな態度だった。

相変わらず、最低賃金導入により職を失った人たちの現状がメディアで話題となっている。

Yahoo記事には入れなかったが、巡回サーカス一団も深刻な状況のようだ。
農家と同じく、サーカスも家族や兄弟、親戚一同が時間の許す限り助け合い、
経営が成り立っていることが多い。

それが親族一同にも1時間8.5ユーロを支払わねばならない事から経営難に陥り、
サーカス巡業ができなくなったり、動物のえさを入手することさえ困難になったりしているそうだ。 

今後、さらなる問題が続出するような気がする。貧困解消の効果はいかに?というところだろうか。
# by foodwatcher | 2015-06-19 19:30 | 仕事

もう2週間ほど前になるだろうか。

アウトバーンで車が故障してしまい、大惨事に至る直前という
アクシデントに遭遇しました。

結果として、怪我もなく、他の車にも迷惑かけることなく
収まったので、本当に不幸中の幸いだった。

ことの始まりは、フライブルクにいる息子を訪問した後、
自宅に戻るときだった。

息子はこの4月、引越しのために少し大きな車が必要という事で
我が家の大型車を利用、彼の車は我が家で引き取っていました。

その大型車をピックアップしに、そして彼の車を戻すために
フライブルクへ日帰りするところに起きたハプニングでした。

帰路、フライブルクからアウトバーンで40キロ走った頃、
突然、パーンという大きな音がして、びっくり。

周囲を見回したのだけど、事故らしきものは見当たらない。

どうも様子がおかしいと思い、車を左車線にゆっくり移動し、
その後、近くにあったサービスエリアにのろのろ運転で
入りました。

車を降りてみると、右側の前輪がパンクしているではありませんか!

車道にあった釘とか何か尖がっている物の上を誤って
走ってしまったためか・・・・と色々想像しましたが、
とにかく、何事もなくて、命拾い。

パンクしたのを目にして、ゾッとしてしまいました。
他の車を巻き込んで衝突したり、けが人が出たり・・・・など
悪い想像ばかりしてしまい、この時の幸運には感謝しました。

夫は冷静を装っていたように見えたものの、
内心かなり動揺していた模様。そりゃ、当然といえば当然です。

私は、何事もなかった!お金ですべて解決することができる!ということだけが
頭をよぎり、自分でも不思議なくらい冷静でした。
冷静を装うことができたといったほうが正しいかと思います。

思わず本当によかったねと、夫とハグしてしまいましたが。

そして、そこからどう対応するかがこれまた大変。
停車したサービスエリアは、ガソリンスタンドがあるだけの
簡易施設だったため、従業員も1人だけで、助けてもらうことはできなかった。

運悪く、日曜日で、最寄の自動車工場もすべてしまっていた。
(日本のJAFに当たる)ADACは、つい最近、脱会してしまった。
長年、会費をせっせと支払うだけで、一度もお世話にならなかったから。

いや、お世話になりたいときに会員でなくなっていたというのは
何とも不運でした。

ガソリンスタンドの男性は、

「パンクだったら、トラックの運転手がたくさんいるから
彼らに手伝ってもらって交換したら」と、アドバイスしてくれた。

この日は日曜日だったので、大型車のアウトバーン走行は不可。
そのため、駐車場にはトラックの運転手がたくさんいたのです。

夫が助けを求めに大型車専用の駐車場へ出向いたけれど、
助けてくれそうな人に出会えなかった。寝ていてドアを
開けてくれないか、少し離れたアウトホーフで食事をしていた
ようです。

長距離を走る運転手の休憩時間を邪魔するのは申し分けないという夫。

その間、私は近くに駐車していたトラックの運転手さんに
目をつけていました。思い切って話しかけてみました。

とても気さくなそのイタリア人男性はすぐタイヤ交換の準備を始めてくれました。

そこで、どうやら原因はパンクだけでなく、テクニカルな面でも
故障があることが判明し、結局彼の手には負えないことになったのです。

最終的に、車の本社ミュンヘンのサービスセンターへ電話を入れて
レッカー車を手配してもらい、夜中の11時過ぎにまたフライブルクへ
舞い戻りました。

息子も気が気でなかったようです。
レッカー車に車を乗せて、そして私たちもフライブルクの街中にあるアウトハウスへ。
我が家の車が簡単に修理できることを祈って!

フライブルクへ戻ってきてからは、息子が迎えに来てくれるのを
待ち、息子の自宅へは夜中の12時頃戻るという長い長い一日でした。

翌日、修理にかなり費用がかかると判明。
しかも5月にフライブルクを襲った悪天候でゴルフボール並みの
大きなヒョウがふり、我が家の大型車もかなりでこぼこ。

パンクは仕方がないにしても、今年1月に車検を済ませ、問題なかったのに
なぜ、今回テクニカルで問題が発生したのか、1月にはわからなかったのか・・・
と、色々聞いても無駄。

保険会社にも多額の保険料を支払っているのに非協力的。

この車を修理するのは諦めて、車を買い替えることにしました。

このハプニングがあって以来、普段の些細なことに改めて感謝し、
無事に過ごせることの幸せを噛み締めています。

アウトバーンで事故を目にするたびに、自分達が巻き込まれなくて
良かったね、渋滞は我慢できるもの・・・といっていたのですが、
突然の出来事に遭遇し、事故は予期せずやってくると思い知らされ、
毎日を楽しく過ごそうと思うこの頃です。

いつもはアウトバーンで渋滞が続くとイライラしがちですが
この時ばかりは幸運の神が守ってくれました。

1.当日は、渋滞で車がなかなか前に進まなかった幸運、
(夫は200キロでも平気な人。運転はかなり安全で上手)

2.大型車だったので、故障したとはいえ、大事に至らなかった幸運、

3.パンク、そしてテクニカルダメージが後輪でなかった幸運
(後輪に支障が生じていたら、本当大変なことになっていたようです)

4.息子が近くにいたため、夜中に近くのホテルを探さずに済んだ幸運

5.そして何より、皆無事だったことの幸運

ありがとう!
まさかの飛行機墜落事故が起こり、非常にショッキング。
ジャーマンウィングスは、私も仕事でドイツ国内を動く時に利用する航空機のひとつだ。

帰らぬ人となったギムナジウムの生徒16人と教師2人は、帰独中だったという。

ドイツメディアによれば、
バルセロナ周辺の高校生との交換プログラムでは、
当初、スペイン行き希望生徒は40人ほどいたそうだ。
それが、最終的に14人選定され、その後2人が加わったそう。

私も子供を持つ親として、親族の悲しみは本当に計り知れない。
心からお悔やみ申し上げます。

そして教師の1人は半年前に結婚したばかり。
もう1人は、まもなく結婚をする予定だったという。
昨日、同校の校長がインタビューで明かした話しだ。

人生の設計図が一瞬にして崩れてしまった。
なんということか。

以前、ルフトハンザの乗務員にインタビューをしたことがある。
その男性によれば、ルフトハンザは安全面に他の航空会社より
1.5倍費用をかけているといっていた。

節約する時にはばっちり節約するけど、必要な面では
惜しげなく投資する・・・・ドイツ人らしい考え方だと思った。

その話しを聞いてから、私は国際線をはじめ、乗るならルフトハンザと決めている。
少し短絡的かもしれないが、やはり安全第一だから。

ストで足止めになった経験もあるし、最近は機内食も質が落ちてきた感もあるが、
それでもめげずルフトハンザを利用している。

今回犠牲になったドイツ人は計72名。
昨日の発表では67名だったから、5名が乗務員だったことになる。

ギムナジウムのあるノルトライン・ベストファーレン州 ハルターン・アム・ゼーは、
小さな街で、住民はそのほとんどが顔見知りだという。

そして、ジャーマンウィングスはルフトハンザ傘下の小規模企業だ。
だから、パイロットにしても乗務員にしても、ほとんどが顔見知り。

そんな背景で、事故後、乗務できないという心境が非常によく理解できるし、
人間として、当然のリアクションだと思う。

まあこれは、傍観者としての意見であり、当日搭乗する客にしてみれば、
迷惑この上ないことも理解できるが、私が搭乗者であったとしたら、
怒ったりはしないだろう。あまりにも悲惨な事故だから。

最新ニュースで、アルプスの山岳地帯に墜落する前に、
パイロットの1人が操縦室を出て、その後戻ろうと思ったのに
操縦室の扉は閉まったままで、室内からの反応がなかったという。
これからまた情報が入るだろう。

いずれにしても、しばらくは目が離せない悲しいニュースだ。
# by foodwatcher | 2015-03-26 20:35 | 生活情報袋
昨年、ドイツのリサーチとコーディネートを担当させていただいた、魔女の秘密展が大阪で3月7日土曜日いよいよ開催となりました。 

ちなみに、Yahoo News では別のテーマで一般公開前の様子が公開されているのを知りました。

さて、時を同じく、というか全く偶然でしょうか,独ZDFで魔女狩り、魔女裁判について非常に興味深いドキュメンタリー番組が3月2日に放映されました。

番組終了後には、ドイツの歴史家による当時の解説が詳しくあり、こちらも素晴らしい内容でした。

欧州の魔女狩りはスイスで始まったといわれていますが、魔女と宣告されてなくなった人は欧州で6万人にも上るといいます。現在、バンベルクのようにオリジナル資料が残っていない街も多々あると思うので、実際に魔女狩りの被害にあった人の数は計り知れません。

この番組で取り上げられたバイエルン州のバンベルクは、大司教都市、ビール、そして大学都市として有名な街です。旧市街はユネスコの「人類の文化・自然遺産」として登録されています。

番組は1630年にスポットを当てて、魔女裁判を紹介しています。バンベルクの魔女狩りのピークは、1626年から1631年で、この間、なんと1000人ほどが魔女狩りでなくなったそうで、当時のバンベルク住民の1割だったということです。

なぜバンベルクがこの番組で取り上げられたかというと、ドイツ国内で当時の裁判におけるオリジナル資料が一番多く保存されているからとのことです。

ヴィキぺディアによれば、
バンベルクは魔女狩りの中心地の一つであった。魔女狩りの時代、バンベルク大司教ヨハン・ゴットフリート1世・フォン・アシュハウゼン(1609年 - 1622年)及び次代のヨハン・ゲオルク2世・フークス・フォン・ドルンハイム(1623年 - 1633年)の指導下、大規模な魔女狩りが行われた。

同様の大規模な魔女狩りは、ヴュルツブルク大司教領やマインツ選帝侯領など、ドイツ南部で行われた。
1612/1613年から1617/1618年の間に、バンベルク司教領で300人が薪の上で炎に焼かれた。特に1617年には、この司教領で102人の人々が処刑された。最も有名な犠牲者は、市長のヨハネス・ユニウスで、1628年8月に魔術師監獄での拷問を受け死亡した。


とあります。

私が知らなかったのは、拷問の回数です。歴史家の解説によれば、拷問は3回までが原則だったとか。その間、無罪を主張し続けた(そして、生き残れた)人は解放されるべきだったようです。

とはいえ、当時は決まりがあってないようなもの。なかには拷問を8回受けた人もいたそうです。ただただその強靭な意志、魔女であるというウソを認めなかった姿は想像を絶します。

「魔女の展覧会」をテーマにドイツではロケハン、本ロケと2度に渡り、魔女の歴史を追いながら取材をしました。訪問する先々で拷問器具を見るたびに、色々想像してしまい、私には、拷問に耐えた人がいたということに驚愕しました。

番組の中でも拷問シーンがいくつかありましたが、やはり目を閉じてしまいました。拷問を受けた人の悲鳴を聞くだけで、どんなにむごいか、簡単に想像できます。

そもそも魔女といわれた市民のほとんどは口コミ、つまり密告で検挙されたのだという。家族内でも告発があり、子供が母親を魔女といったり、もちろんそれまで親しくしていた隣人や助産婦(産婦が助けを求めたため、手助けに出向いたが、おなかの中で胎児は死産だったことを恨んでなど)が魔女であるしるしと告発することもあったようです。これらのシーンが番組には見事に再現されていました。

番組の中では、父親の経営する当時の薬局を手伝っていた女性が、魔女として告発されました。薬草を使って、病状を和らげることで人々に信頼されていたこの女性も、いつの間にか、憎しみの対象となったようです。

当時は、病気の流行に太刀打ちできなかったり、6月に雪が降ったりという悪天候の影響で農作物も全滅と、市民の怒りや恨みつらみのはけ口として、その責任を魔女に負わせるに至ったといわれています。

日本では、往々にして助産婦イコール魔女、あるいは薬草を用いて治療した人、(昔の薬剤師と想像すればいいだろう)これらの人たちイコール魔女という説もあるようですが、番組に出てきた歴史家によれば、それは違うという。結論として、あくまでも魔女といわれた人の中に、たまたま助産婦や薬草に長けていた人がいたというだけのこととか。

当時は、一般市民が森に入っていくことは禁止されていたという日本の専門家もいるようですが、これもどうやら違う模様。もちろんその町の富豪や聖職者所有の森には立ち入ることはできませんでしたが、一般の森に足を踏み入れることは許されていたとのことです。

ですので、森の中で薬草やきのこを摘んだり、森への散歩はできたそうです。これについては、ドイツのある博物館で学芸員にインタビューした際も、同じ答え・・・「森に入ることは許されていた。ただし所有者のある場所へは不可」が返ってきました。

今回、お仕事をいただいて、魔女についてリサーチしていくうちに、色々な本に出会いました。

なかでも、魔女の鉄槌(Malleus Maleficarum)はハインリッヒ・クラーマーによって書かれた魔女に関する本です。もちろん内容は現代版です。中世における魔女理解のエッセンスといわれており、魔女に関しては最も有名な本です。

また、ロケでご一緒した山田五郎さんは、気さくな方でコーディネートとして大変仕事を進めやすかった方です。やはり西洋美術専門家だけあって、その知識の広さには、私も色々と勉強させていただきました。

同じ釜の飯を食うではありませんが、夜中のケルンを歩きやっと夕食にありついたのが12時頃と、クレイジーなスケジュールでしたが、今思うと懐かしい限りです。

「魔女の秘密展」は、大阪終了(5月10日)後、新潟、名古屋、浜松、広島、福岡で開催されるそうです。秘密展ホームページで紹介されている魔女街道は、一般観光客が足を運ぶにはちょっとアクセスしにくい場所もありますが、ひと味違ったテーマを追ってドイツの旅をするのもいいかもしれません。
# by foodwatcher | 2015-03-09 06:03 | 生活情報袋