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まさかの飛行機墜落事故が起こり、非常にショッキング。
ジャーマンウィングスは、私も仕事でドイツ国内を動く時に利用する航空機のひとつだ。

帰らぬ人となったギムナジウムの生徒16人と教師2人は、帰独中だったという。

ドイツメディアによれば、
バルセロナ周辺の高校生との交換プログラムでは、
当初、スペイン行き希望生徒は40人ほどいたそうだ。
それが、最終的に14人選定され、その後2人が加わったそう。

私も子供を持つ親として、親族の悲しみは本当に計り知れない。
心からお悔やみ申し上げます。

そして教師の1人は半年前に結婚したばかり。
もう1人は、まもなく結婚をする予定だったという。
昨日、同校の校長がインタビューで明かした話しだ。

人生の設計図が一瞬にして崩れてしまった。
なんということか。

以前、ルフトハンザの乗務員にインタビューをしたことがある。
その男性によれば、ルフトハンザは安全面に他の航空会社より
1.5倍費用をかけているといっていた。

節約する時にはばっちり節約するけど、必要な面では
惜しげなく投資する・・・・ドイツ人らしい考え方だと思った。

その話しを聞いてから、私は国際線をはじめ、乗るならルフトハンザと決めている。
少し短絡的かもしれないが、やはり安全第一だから。

ストで足止めになった経験もあるし、最近は機内食も質が落ちてきた感もあるが、
それでもめげずルフトハンザを利用している。

今回犠牲になったドイツ人は計72名。
昨日の発表では67名だったから、5名が乗務員だったことになる。

ギムナジウムのあるノルトライン・ベストファーレン州 ハルターン・アム・ゼーは、
小さな街で、住民はそのほとんどが顔見知りだという。

そして、ジャーマンウィングスはルフトハンザ傘下の小規模企業だ。
だから、パイロットにしても乗務員にしても、ほとんどが顔見知り。

そんな背景で、事故後、乗務できないという心境が非常によく理解できるし、
人間として、当然のリアクションだと思う。

まあこれは、傍観者としての意見であり、当日搭乗する客にしてみれば、
迷惑この上ないことも理解できるが、私が搭乗者であったとしたら、
怒ったりはしないだろう。あまりにも悲惨な事故だから。

最新ニュースで、アルプスの山岳地帯に墜落する前に、
パイロットの1人が操縦室を出て、その後戻ろうと思ったのに
操縦室の扉は閉まったままで、室内からの反応がなかったという。
これからまた情報が入るだろう。

いずれにしても、しばらくは目が離せない悲しいニュースだ。
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by foodwatcher | 2015-03-26 20:35 | 生活情報袋
昨年、ドイツのリサーチとコーディネートを担当させていただいた、魔女の秘密展が大阪で3月7日土曜日いよいよ開催となりました。 

ちなみに、Yahoo News では別のテーマで一般公開前の様子が公開されているのを知りました。

さて、時を同じく、というか全く偶然でしょうか,独ZDFで魔女狩り、魔女裁判について非常に興味深いドキュメンタリー番組が3月2日に放映されました。

番組終了後には、ドイツの歴史家による当時の解説が詳しくあり、こちらも素晴らしい内容でした。

欧州の魔女狩りはスイスで始まったといわれていますが、魔女と宣告されてなくなった人は欧州で6万人にも上るといいます。現在、バンベルクのようにオリジナル資料が残っていない街も多々あると思うので、実際に魔女狩りの被害にあった人の数は計り知れません。

この番組で取り上げられたバイエルン州のバンベルクは、大司教都市、ビール、そして大学都市として有名な街です。旧市街はユネスコの「人類の文化・自然遺産」として登録されています。

番組は1630年にスポットを当てて、魔女裁判を紹介しています。バンベルクの魔女狩りのピークは、1626年から1631年で、この間、なんと1000人ほどが魔女狩りでなくなったそうで、当時のバンベルク住民の1割だったということです。

なぜバンベルクがこの番組で取り上げられたかというと、ドイツ国内で当時の裁判におけるオリジナル資料が一番多く保存されているからとのことです。

ヴィキぺディアによれば、
バンベルクは魔女狩りの中心地の一つであった。魔女狩りの時代、バンベルク大司教ヨハン・ゴットフリート1世・フォン・アシュハウゼン(1609年 - 1622年)及び次代のヨハン・ゲオルク2世・フークス・フォン・ドルンハイム(1623年 - 1633年)の指導下、大規模な魔女狩りが行われた。

同様の大規模な魔女狩りは、ヴュルツブルク大司教領やマインツ選帝侯領など、ドイツ南部で行われた。
1612/1613年から1617/1618年の間に、バンベルク司教領で300人が薪の上で炎に焼かれた。特に1617年には、この司教領で102人の人々が処刑された。最も有名な犠牲者は、市長のヨハネス・ユニウスで、1628年8月に魔術師監獄での拷問を受け死亡した。


とあります。

私が知らなかったのは、拷問の回数です。歴史家の解説によれば、拷問は3回までが原則だったとか。その間、無罪を主張し続けた(そして、生き残れた)人は解放されるべきだったようです。

とはいえ、当時は決まりがあってないようなもの。なかには拷問を8回受けた人もいたそうです。ただただその強靭な意志、魔女であるというウソを認めなかった姿は想像を絶します。

「魔女の展覧会」をテーマにドイツではロケハン、本ロケと2度に渡り、魔女の歴史を追いながら取材をしました。訪問する先々で拷問器具を見るたびに、色々想像してしまい、私には、拷問に耐えた人がいたということに驚愕しました。

番組の中でも拷問シーンがいくつかありましたが、やはり目を閉じてしまいました。拷問を受けた人の悲鳴を聞くだけで、どんなにむごいか、簡単に想像できます。

そもそも魔女といわれた市民のほとんどは口コミ、つまり密告で検挙されたのだという。家族内でも告発があり、子供が母親を魔女といったり、もちろんそれまで親しくしていた隣人や助産婦(産婦が助けを求めたため、手助けに出向いたが、おなかの中で胎児は死産だったことを恨んでなど)が魔女であるしるしと告発することもあったようです。これらのシーンが番組には見事に再現されていました。

番組の中では、父親の経営する当時の薬局を手伝っていた女性が、魔女として告発されました。薬草を使って、病状を和らげることで人々に信頼されていたこの女性も、いつの間にか、憎しみの対象となったようです。

当時は、病気の流行に太刀打ちできなかったり、6月に雪が降ったりという悪天候の影響で農作物も全滅と、市民の怒りや恨みつらみのはけ口として、その責任を魔女に負わせるに至ったといわれています。

日本では、往々にして助産婦イコール魔女、あるいは薬草を用いて治療した人、(昔の薬剤師と想像すればいいだろう)これらの人たちイコール魔女という説もあるようですが、番組に出てきた歴史家によれば、それは違うという。結論として、あくまでも魔女といわれた人の中に、たまたま助産婦や薬草に長けていた人がいたというだけのこととか。

当時は、一般市民が森に入っていくことは禁止されていたという日本の専門家もいるようですが、これもどうやら違う模様。もちろんその町の富豪や聖職者所有の森には立ち入ることはできませんでしたが、一般の森に足を踏み入れることは許されていたとのことです。

ですので、森の中で薬草やきのこを摘んだり、森への散歩はできたそうです。これについては、ドイツのある博物館で学芸員にインタビューした際も、同じ答え・・・「森に入ることは許されていた。ただし所有者のある場所へは不可」が返ってきました。

今回、お仕事をいただいて、魔女についてリサーチしていくうちに、色々な本に出会いました。

なかでも、魔女の鉄槌(Malleus Maleficarum)はハインリッヒ・クラーマーによって書かれた魔女に関する本です。もちろん内容は現代版です。中世における魔女理解のエッセンスといわれており、魔女に関しては最も有名な本です。

また、ロケでご一緒した山田五郎さんは、気さくな方でコーディネートとして大変仕事を進めやすかった方です。やはり西洋美術専門家だけあって、その知識の広さには、私も色々と勉強させていただきました。

同じ釜の飯を食うではありませんが、夜中のケルンを歩きやっと夕食にありついたのが12時頃と、クレイジーなスケジュールでしたが、今思うと懐かしい限りです。

「魔女の秘密展」は、大阪終了(5月10日)後、新潟、名古屋、浜松、広島、福岡で開催されるそうです。秘密展ホームページで紹介されている魔女街道は、一般観光客が足を運ぶにはちょっとアクセスしにくい場所もありますが、ひと味違ったテーマを追ってドイツの旅をするのもいいかもしれません。
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by foodwatcher | 2015-03-09 06:03 | 生活情報袋