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前回に引き続きロマンチック街道の旅をお伝えします。

さて、ロマンチック街道の起点はヴュルツブルックという事は、皆さんご存知だと思います。では、この街のどこが出発点かご存知ですか? 以下をどうぞ。

ユネスコ世界文化遺産のレジデンツ宮殿 

 ところで、ヴュルツブルクはロマンチック街道の起点といわれるが、街のどこにその起点があるかご存知だろうか。

 1981年世界遺産に登録されたレジデンツ宮殿である。  

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 ここは、18世紀バロック建築の傑作とされる三翼式の宮殿で、当時のヨーロッパ建築の主流であったフランスの宮殿建築、ウィーンの皇帝バロック様式、北イタリアの宮殿建築など宗教関係の建築技術が凝縮された芸術作品だ。

 宮殿正面の広場〈レジデンツプラッツ〉にたたずんでこの建物を目の前にすると、司教座として、宗教の権威を壮大かつ華麗に誇示した当時の様子が伝わってくるようだ。ちなみに宮殿の建物面積は、約15,000平方メートルというから、日本の国会議事堂(13,358平方メートル)より少し大きめのサイズだ。

 バロック建築の最高峰といわれるこの宮殿で重要な人物は、3人といわれる。

 天才的建築家バルタザール・ノイマン、フレスコ画家ジョヴァンニ・バディスタ・ティエポロ、ヴュルツブルク領主大司教フィリップ・フランツ・ショーンボルンである。

 この街出身の教会と宮殿の建築家ノイマンは、領主大司教ショーンボルンの居城であったこの宮殿をドイツやフランス、イタリアやウィーンより、から多くの建築家や画家の協力を得て完成させた。1720年に定礎し1744年に建物を完成させた。だが、その2年後には領主大司教ショーンボルンは没してしまった。内装にはそれから40年ほどの歳月が費やされたそうだ。 

 ガイドに従って宮殿中に入っていくと、まず目をうばわれるのは2階まで続く「トレッペンハウス・階段の間」。ここは、柱のない広大な吹き抜けで、天井には、べネチアの画家ティエポロの優雅で壮観な一枚画が描かれている。

 およそ600平方メートルにも及ぶこのフレスコ画は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの4大陸が描かれており、世界最大級の天井画を目にすると、訪問客から歓声が一斉に上がった。オーストラリアが描かれていないのは、この時代にはまだ発見されていなかったからという。 

 階段を上っていくと、まず「白の間」に到着。ここは、白漆喰細工の装飾されている広間。ロココ様式「鏡の間」は、100枚の鏡で飾られている広間で、金箔、銀箔、擬似大理石を使った室内装飾芸術の至宝である。「皇帝の間」にある皇帝フリードリッヒ1世の結婚式の絵は前出ティエポロによって描かれたとのこと。この皇帝の間と宮廷庭園では、毎夏モーツアルト音楽祭が開催されるそうだ。

 ちなみに、前項で第二次世界大戦でヴュルツブルクの街は破壊されたと記したが、この爆撃で破壊されなかったのがこの宮殿内の「階段の間、白の間、皇帝の間、庭園の間」であった。

 南翼にある「宮廷教会」は、豪華なバロック様式の内装で見ごたえがある。市民の結婚式場としてこの街で最も人気のある場所で、特に週末には多くのカップルがここで式をあげるそうだ。私が見学した日は水曜日だったが、宮殿広場で運よく一組のカップルに出会えて、幸せのおすそ分けをしてもらったような気分になった。

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 宮殿内は、ガイドの案内で本翼中央館のメイン入り口から始まり、40の部屋を閲覧できるが、宮殿全体で340ほどの部屋があるそうだ。南棟の建物の一部は、現在ヴュルツブルク大学の博物館「マーティン・フォン・ワーグナー」として彫像とアンティーク収集品が展示されており、無料で入場できる。

 殿内の見学が終わると、建物の南側と東側にある庭園へ向かった。バロック宮廷庭園は、宮殿建物面積の3倍ほどの大きさだ。庭園造形物や華麗なロココ式の錬鉄の飾り扉などが楽しめて、市民の憩いの場としても人気がある。
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by foodwatcher | 2010-11-18 00:31 | 生活情報袋
ドイツのキッチンといえば、機能的な収納システムが整い、ピカピカに磨かれているというイメージがあるのでは?

そんなドイツ人のキッチン文化を知る博物館があります。
ドルトムンドにある「ドイツ料理の本博物館」です。

3年ほどお世話になっている日本通運ヨーロッパ版「ペリカン」に寄稿しました。
歴史的な料理器具や、19世紀以降の女性たちの生活の様子や料理技術における歴史資料が閲覧できます。

ドイツの女性は、男女同権でその立場を確立しているように見えますが、1世紀前にはまだまだ、フェミニズムにはほど遠い家庭的な役割を女性に望んでいた事がわかります。

ドイツ人家庭と言えば、窓も磨き、花も飾り、家の中も整理整頓がなされている風景を想像するかもしれませんが、生活をしていると言うことは、それなりに家の中に乱れがあってもいいような気もします。(自分が片付けない言い訳のような感じもしますね・・・)

特にキッチンは、どのドイツ人の家庭でもきれいに片付いているようです。

でも、毎日料理を作ったりケーキを焼いたりなどしていると、いつもきちんと片付けると言うのは無理で、物がキッチンのあちこちに散らばっているのは我が家のキッチンだけでしょうか・・・・

まして我が家のように日本食ありドイツ食あり、ピザの生地も作ったり、魚を焼いたりと、やはり片付くはずがありません。食べる事が大好き我が家では、仕方ありません。

ちなみにこの画像は、きれいに整頓していたときに撮った我が家のキッチンです。こんなにきれいなのは本当まれなことです。
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by foodwatcher | 2010-11-15 20:09 | 仕事
今夢中になって読んでいる本をご紹介。

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タイトルは「3096日」
1998年3月2日に誘拐されて、3069日監禁されたオーストリア人ナターシャ・カンブシュさんの本です。(自伝書ですが、実は2人のゴーストライターによって書き上げられたものです)

10歳のときに拉致されて、広さわずか5平方メートルの地下一室に閉じ込められていた3096日の生活をつづったものです。

事件前日までは、母親と一緒に学校に出向いていたが、当日は初めて一人で登校し、学校に到着することもないまま、監禁生活を8年半も強いられてしまった。

失われた子供時代の思いと、極限状態に置かれた彼女がどのように希望を見出していったかが詳細にわたり記載されています。

精神的にも肉体的にも虐待を受け、自殺をしようと思ったことが何度もあったとか。
でも、死ぬのは自分ではない!こんなひどい事をしている犯人のほうが死ぬべきだと思いなおし、自分を励ましつづけたそうだ。

太陽の光を受ける事もなく、新鮮な空気を吸うこともできず、いわゆる牢獄の中で生活していた彼女の楽しみの一つは、本を読むことだった。

週末を除いて1日に2回ほど様子を見に地下室へきていた犯人にお願いし、本を持ってきてもらっていた。その本に没頭している間だけは、ファンタジーの世界に入り込み、つかの間であったが自分の置かれている環境を忘れる事ができたとのこと。

ご存知の方もあるかと思いますが、逃亡に成功して暗闇の生活から脱出できた彼女は、今22歳。普通の生活を取り戻しつつあるようです。

本から得る知識欲を決して捨てなかった彼女の語彙の多さや筋の通った話しぶりは、3096日間全く外部とのコンタクトがなかったとは信じられないほど。当時オーストリアテレビでの特別インタビュー番組で話を始めた彼女の博識さには私も唖然としたのを覚えている。

就寝前にベットに持ち込んで読んでいる私ですが、そのすさまじさに目も覚めてしまうほど!
それでも病みつきになってます。
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by foodwatcher | 2010-11-14 19:03 | 知恵袋
ドイツの観光スポットとして最も人気のある街道『ロマンチック街道』が今年で60周年を迎えた。

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日本では昨年から雑誌や広告が大々的に出ているようだが、ドイツ政府観光局によると、日本人観光客は年間20万人以上にも上るそうだ。

長くドイツに住んでいるのに、この街道上の街をほとんど訪問していない私は、一年発起して、暇に任せて出かけてみることにした。 

観光ガイドやツアーでは知る事のできない秘話をお伝えします。
まずは、ロマンチック街道起点の街ヴュルツブルクです。

上の画像は、ロマンチック街道の標識です。見えにくいかもしれませんが、右下に日本語でロマンチック街道と記されています。

ちなみにこの街道沿線上の街では、日本語の観光スポット標識があちこちで見受けられます。日本人の観光客が多いことの証明ですね。

ロマンチック街道とは

 ロマンチック街道の起源は、ローマ帝国時代にローマ人たちによって作られた街道で、ローマと結ぶために整備されたという。中世には交易路として使われた街道で、商人や職人たちが沿線上の街に集まるようになり、ロココやバロック文化の中心地として栄えた。

  第二次世界大戦後、ドイツは敗戦国というネガティブな印象を払拭したいと、この地域一帯の観光地化に着手した。米国の将校たちが家族と共にこの地方で盛んに休暇を過ごしていたことに目をつけ、国内外の訪問客を魅了する観光地として活性化させたいと、1950年、ヴュルツブルク、アウグスブルク、フッセンの市長が共同で「ロマンチック街道協会」を設立した。

  日本でも1979年代以降、ドイツを代表する観光スポットとして注目を浴びるようになり、ロマンチック街道の名は徐々に世界中に浸透していった。ドイツには政府観光局や地方自治体が主体となりテーマを設定した観光街道(メルヘン街道、ゲーテ街道、ワイン街道など)があるが、その中でもロマンチック街道は一番古い街道である。

 この街道は、ドイツ中部のヴュルツブルクからアルプスの入り口フッセンまで28の街を結ぶバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州にまたがる全長約366キロのルートをさす。

司教の街ヴュルツブルク 
 
 バイエルン州のヴュルツブルクは、ミュンヘン、ニュルンベルク、アウグスブルクに続く4番目に大きな都市で、フランケン地方(ドイツ南西部から南ドイツの北部)の中心都市である。日本では特にロマンチック街道の起点の街、フランケンワインの名産地としてよく知られているが、教会、ゴシックとバロック建築の豊富な大学の街としても有名だ。 

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 紀元前約1000年には、すでに現在のマリエンブルク要塞がある丘マリエンベルク(聖母の山)にケルト人の砦、丘の麓には集落があったらしい。

 司教〈カトリック教会の位階のひとつ〉の管轄区となった8世紀ころには、キリスト教の布教者たちがこの街に足しげく通った。11世紀には、皇帝コンラート2世から貨幣を鋳造する権利や税金を取る権利、市場を開く権利などの都市権を得て繁栄した。

 12世紀になると、バルバロッサ(あか髭)と呼ばれた皇帝フリードリッヒ1世(ホーエンシュタウフェン家)が、ヴュルツブルクの司教ヘロルドを公爵に任じたことから司教領主「フランケン公」として勢力を増していった。ワインの生産、集荷、と販売の中心地となり、マイン川、ライン川、ドナウ川と3つの川を運河で繋いでいた事から、ヨーロッパ中に物資を集散させる水運の街として発展したようだ。

 1815年にバイエルン王国に併合、第二次世界大戦末期1945年爆撃を受け、この街のほとんどが破壊した。

 前書きが長くなってしまったが、まず、街全体の様子を知りたいと思い、ヴュルツブルク中央駅から出発する市内観光バスに乗った。1人10ユーロでおよそ2時間のツアー、同乗したガイドが街の歴史や観光スポットを細かく説明してくれた。

 尖塔が目を引くフランケン地方のワインの守護聖人キリアンを祭った大聖堂、ノイミュンスター教会、アウグスティーナ教会や旧市庁舎などお勧めの観光スポットを経てバスが街を1周。その後バスが出発点の駅にもどる帰路にレジデンツ広場で降りて、この街第一の人気スポットレジデンツ宮殿に向かった。

続く
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by foodwatcher | 2010-11-11 00:45 | 生活情報袋
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ドイツ人の大好物パスタ。

ドイツ麺類連盟の調査によると、ドイツ人は、2009年年間一人当たり7.7kgを食したそうだ。
時間がなくても、食材がなくても、簡単にできるからであろう。
我が家でも週に1回は食卓に出るレパートリーのひとつ。

イタリア人は年間一人当たり25kgも平らげてしまうとか。
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by foodwatcher | 2010-11-11 00:12 | 我が家の食