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日本のメディアでも随時ミュンヘンの銃乱射事件は報道されています。

ドイツでの情報をまとめました。やっぱり鮮烈な事件として、頭から離れなかったので
連日ニュースをおっています。

週末を目前に控えた22日金曜日の夕方、
ショッピングや散歩にといつものように過ごしていた
ミュンヘンの住民を巻き込んだ悲惨な事件が襲った。

客で賑わうミュンヘンのオリンピア・ショッピングセンター(以下OEZ)で
銃乱射事件が発生したのだ。事件の流れは以下の通り。

7月22日

17時52分、乱射開始

数分後に警察へ通報

18時20分、警察、乱射現場へ到着、OEZ内へ突入

9人射殺後に犯人は駐車場屋上へ

屋上からも乱射、合計35人負傷

20時30分頃、アリ・ダービットと警察が路上で対面、
ダービットは警官の目の前で頭を銃で撃ち、死亡

23日02時、厳戒体制を解除


無差別乱射に憧れた犯人とは


 ここでは日本ではあまり報道されていない点を中心に振り返ってみたい。

 犯人アリ・ダービット・ソンボリ18歳(以下ダービット)は、インターネットで入手した銃で9人を撃った。
ファストフード店内5人、同店前1人、家電店内2人、OEZ内1人で遺体が見つかった。

 犠牲者の8人は14歳から20歳の若者、1人は45歳の女性だった。
負傷者は35人に上る。一時、生死をさまよう負傷者もいたが、今はそれも免れたという。

 ダービットは手持ちの銃で57弾発砲、58弾目は自身の頭を撃った。
これとは別に、彼のリュックサックには300弾と爆弾が入っていた。

 犠牲者の多くがトルコ人コソボ人、セルビア人など外国籍だったが、
OEZ周辺は外国人が多く住む地区のため、あえて彼らを標的にしたのではなく、
偶然だったのだろうとバイエルン州警察本部は見解を述べた。

 犠牲者の中には、ダービットのクラスメイトはいなかった。
7年間いじめにあっていたとダービットの告白から
クラスメートを射撃したのではという懸念は消え去った。

 ファストフード店前でダービットが発砲する動画をネットで見た父親は、
その日のうちに「息子かもしれない」と警察に通報したという。

 だが、この動画は質が悪く鮮明でなかったのに、なぜ父親は息子とすぐ判ったのか、
あるいは犯行を予知していたのかなど疑問視されている。

 25日までダービットの両親はショックで口を聞くことが出来ないままだったため、
今もってこの件については解明されていない。

 ダービットがOEZ駐車場屋上にいた時の様子を近くのアパート4階から20歳の男性Mが撮影した。

 「男性を見たとき、花火でもあげるのかと思った。
けど、彼が銃を持っていることを知り、OEZにいる友達に警告したかったので
スマホで撮影し始めた。その後すぐオンライン上に公開した。
まさか、自分の動画が全世界に広まるとは思ってもいなかった」

 まもなく、ダービットはMさん宅のバルコニーを目指して2回発砲。
幸いなことに弾には当たらなかったものの、部屋にいたMさんの父親47歳が
ガラスの破片で負傷した。

 動画の中でダービットに話しかけたのはMさんではなく、1階上の住人だという。
声をかけダービットを非難したTさん57歳は、こう語る。

 「仕事から帰宅してバルコニーでビールを一杯と思っていたところに事件が起きた。
容疑者に声をかけたとき、不安はなかった。
ビール瓶を容疑者に投げたが、駐車場屋上まで届かなかった。
もし、自分が銃を持っていたとしたら、容疑者の頭に一発撃った」と強気だ。
無差別殺人で容疑者は精神疾患を抱えていることは後から知ったというTさん。(Die Welt)

 OEZから離れたダービットは、少し離れた路上で警官と出会ったという。

 そしてダービットは警官の目の前で自身の頭を銃で撃ち死亡した。

当初、容疑者は3人という声もあり、ミュンヘン市内はその後も厳戒体制が続いた。
結局、犯行はダービット1人によるものとされ、厳戒体制は23日の午前2時ごろ解除された。

 ダービットは今回の銃乱射事件を1年前から計画しており、
マニフェストもあったと州警察本部は報告した。

 7年前に起きたドイツ南部のヴィーネンデンの学校で当時17歳の
少年による銃乱射事件の現場に行ったダービットは現場の写真を撮った。

 ダービットがヴィーネンデンを訪問し、若者乱射の参考にしていたことを知った同市在住の女性は、

 「ようやく忘れかけていた惨事を思い起した。当時の悲しみや苦しみがまたこみ上げてくる。
私の娘はあの時帰らぬ人となった」と胸のうちを語った。

 またミュンヘンで乱射事件の起きた7月22日は
ノルウェーで起きた連続テロ事件で77人が死亡した惨事から5年経った日だった。

 ダービットは当時の犯行を起こしたアンネシュ・ブレイヴィークを羨望していたそうだ。

 ファストフード店への「ハンバーガーをおごる」という投稿については、
実在する女子の名前と画像を用いて、ダビットが新規Facebook アカウントを開設した。

 この女子のアカウントを乗っ取ったという報道があったが、それは間違い。
州警察本部は新規アカウントを今年5月に開設したと声明した。

 銃乱射事件において、地元警察は24日夕方、
犯行計画を知りながら当局に通報しなかった疑いで16歳の友人を逮捕した。

この友人はアフガニスタン出身で、ダービットとは2015年の夏
2ヶ月間精神疾患で滞在していた病院で知り合ったという。

ダービットは鬱病で、対面恐怖症に病んでいた。

地元メディアは、16歳の若者も危険があり得ると伝えたが、25日、この若者は釈放された。

続く
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もう2週間ほど前になるだろうか。

アウトバーンで車が故障してしまい、大惨事に至る直前という
アクシデントに遭遇しました。

結果として、怪我もなく、他の車にも迷惑かけることなく
収まったので、本当に不幸中の幸いだった。

ことの始まりは、フライブルクにいる息子を訪問した後、
自宅に戻るときだった。

息子はこの4月、引越しのために少し大きな車が必要という事で
我が家の大型車を利用、彼の車は我が家で引き取っていました。

その大型車をピックアップしに、そして彼の車を戻すために
フライブルクへ日帰りするところに起きたハプニングでした。

帰路、フライブルクからアウトバーンで40キロ走った頃、
突然、パーンという大きな音がして、びっくり。

周囲を見回したのだけど、事故らしきものは見当たらない。

どうも様子がおかしいと思い、車を左車線にゆっくり移動し、
その後、近くにあったサービスエリアにのろのろ運転で
入りました。

車を降りてみると、右側の前輪がパンクしているではありませんか!

車道にあった釘とか何か尖がっている物の上を誤って
走ってしまったためか・・・・と色々想像しましたが、
とにかく、何事もなくて、命拾い。

パンクしたのを目にして、ゾッとしてしまいました。
他の車を巻き込んで衝突したり、けが人が出たり・・・・など
悪い想像ばかりしてしまい、この時の幸運には感謝しました。

夫は冷静を装っていたように見えたものの、
内心かなり動揺していた模様。そりゃ、当然といえば当然です。

私は、何事もなかった!お金ですべて解決することができる!ということだけが
頭をよぎり、自分でも不思議なくらい冷静でした。
冷静を装うことができたといったほうが正しいかと思います。

思わず本当によかったねと、夫とハグしてしまいましたが。

そして、そこからどう対応するかがこれまた大変。
停車したサービスエリアは、ガソリンスタンドがあるだけの
簡易施設だったため、従業員も1人だけで、助けてもらうことはできなかった。

運悪く、日曜日で、最寄の自動車工場もすべてしまっていた。
(日本のJAFに当たる)ADACは、つい最近、脱会してしまった。
長年、会費をせっせと支払うだけで、一度もお世話にならなかったから。

いや、お世話になりたいときに会員でなくなっていたというのは
何とも不運でした。

ガソリンスタンドの男性は、

「パンクだったら、トラックの運転手がたくさんいるから
彼らに手伝ってもらって交換したら」と、アドバイスしてくれた。

この日は日曜日だったので、大型車のアウトバーン走行は不可。
そのため、駐車場にはトラックの運転手がたくさんいたのです。

夫が助けを求めに大型車専用の駐車場へ出向いたけれど、
助けてくれそうな人に出会えなかった。寝ていてドアを
開けてくれないか、少し離れたアウトホーフで食事をしていた
ようです。

長距離を走る運転手の休憩時間を邪魔するのは申し分けないという夫。

その間、私は近くに駐車していたトラックの運転手さんに
目をつけていました。思い切って話しかけてみました。

とても気さくなそのイタリア人男性はすぐタイヤ交換の準備を始めてくれました。

そこで、どうやら原因はパンクだけでなく、テクニカルな面でも
故障があることが判明し、結局彼の手には負えないことになったのです。

最終的に、車の本社ミュンヘンのサービスセンターへ電話を入れて
レッカー車を手配してもらい、夜中の11時過ぎにまたフライブルクへ
舞い戻りました。

息子も気が気でなかったようです。
レッカー車に車を乗せて、そして私たちもフライブルクの街中にあるアウトハウスへ。
我が家の車が簡単に修理できることを祈って!

フライブルクへ戻ってきてからは、息子が迎えに来てくれるのを
待ち、息子の自宅へは夜中の12時頃戻るという長い長い一日でした。

翌日、修理にかなり費用がかかると判明。
しかも5月にフライブルクを襲った悪天候でゴルフボール並みの
大きなヒョウがふり、我が家の大型車もかなりでこぼこ。

パンクは仕方がないにしても、今年1月に車検を済ませ、問題なかったのに
なぜ、今回テクニカルで問題が発生したのか、1月にはわからなかったのか・・・
と、色々聞いても無駄。

保険会社にも多額の保険料を支払っているのに非協力的。

この車を修理するのは諦めて、車を買い替えることにしました。

このハプニングがあって以来、普段の些細なことに改めて感謝し、
無事に過ごせることの幸せを噛み締めています。

アウトバーンで事故を目にするたびに、自分達が巻き込まれなくて
良かったね、渋滞は我慢できるもの・・・といっていたのですが、
突然の出来事に遭遇し、事故は予期せずやってくると思い知らされ、
毎日を楽しく過ごそうと思うこの頃です。

いつもはアウトバーンで渋滞が続くとイライラしがちですが
この時ばかりは幸運の神が守ってくれました。

1.当日は、渋滞で車がなかなか前に進まなかった幸運、
(夫は200キロでも平気な人。運転はかなり安全で上手)

2.大型車だったので、故障したとはいえ、大事に至らなかった幸運、

3.パンク、そしてテクニカルダメージが後輪でなかった幸運
(後輪に支障が生じていたら、本当大変なことになっていたようです)

4.息子が近くにいたため、夜中に近くのホテルを探さずに済んだ幸運

5.そして何より、皆無事だったことの幸運

ありがとう!
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2月も、すでに最終週になりました。
今月は、風邪を引いて、咳、熱、喉の痛みと大変なことになっていました。

思えば、風邪を引いたのは6年ぶりです。

普段は、スポーツジム、水泳と、週に最低5回、つまり平日はほとんど
1時間から2時間、体を動かし、汗かいています。
そう、サウナも週1回欠かさず。
それが効をなしてか、ホント風邪ひとつ引かず、元気でした。

今年は年明けそうそう、事情があり4週間ほど運動できず、うずうずしてました。
その後、風邪を引いてしまいと、6年分まとめて病気になったような感じ。

せっかちな私も、自分に言い聞かせて、ここはゆっくり時間をかけて直すしかないと
毎日、静かに生活することに専念してました。

辛かったのは、食事ができなかったこと。
というか、食欲がなくて、あんまり食べる気がしなかっただけですが。

けれど、いつか春はやってくるようです。
少しずつ、風邪も治まり、咳や鼻水も落ち着いてきたので、
何とか夜も静かに寝れるようになりました。

ここのところ、青空がきれいです。

毎日ニュースを見ると、暗いことばかり。
それに比べれば、風邪を引いたり、つらいことがあっても、
たいしたことじゃないです。

家族みんなが健康で過ごせることが一番大切ですね。
笑顔がトレードマークの私ですが、久しぶりにしんみりとしてしまいました。
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年明けに映画を見た。タイトルはHonig im Kopf (頭の中が蜂蜜みたいとでも訳そうか)
内容は、アルツハイマーのおじいちゃんを取り巻く家族の物語。

普段あまり映画館には行かない私だが、冬は日が暮れるのが早いので、
見に行く頻度が多くなる。

義弟に進められたこの映画、テーマはアルツハイマー・認知症と聞いて尻ごみした。

重いテーマなので、新年早々どうかと思ったが、大笑いしたという感想を聞き、
「笑う門に福がやってくる」と思い、やっぱり行くことにした。

笑いと感動、涙の溢れるシーンが多々あり、久しぶりに心温まる映画を見たと思った。
是非お勧めしたい。

アルツハイマーのおじいちゃんに家族が振り回される中で、
最終的には、心も体も離れ離れだったおじいちゃんの息子夫婦がよりを戻し、
ハッピーエンドなのだが、それも一重に11才の孫娘の突拍子もない行動のおかげだ。

この映画の監督、そして父親Nikoを演じたTil Schweigerは、
この映画を通してアルツハイマー患者を抱える家族に勇気を与えたいという。
患者とどう向き合うか、家族とはなど深く深く考えさせられた内容だ。

この映画の女流脚本家Hilly Martinekの父親が、
アルツハイマーで他界した背景もあり、
現実味を帯びたシーンがたくさんあった。

確かにドイツにはおよそ140万人のアルツハイマー患者がいるといわれる。
という事は、親戚に、家族に、隣人に・・・と身近に一人や二人の患者がおり、
日々介護をする人たちもたくさんいるわけだ。

映画のタイトルHonig im Kopfは、アルツハイマー症状が進んでいくおじいちゃんの言った
「頭の中が蜂蜜みたい」に由来している。

なぜ蜂蜜なのかは不明だが、とにかくおじいちゃんはこう答えた。

おじいちゃんの症状がひどくなり、一人暮らしはまずいだろうということで、息子Nikoが引き取る。
おじいちゃんの行動に顔をしかめ、ヒステリーになる嫁Sarahは、
義父の奇怪な挙動に対し、我慢も限界になり、Nikoと口論が絶えない。
しかも仕事を持つSarahは、上司との浮気という秘め事もある。

獣医だった父の変貌する言動にどう対応したらいいのかわからないまま、
それでも何とかありのままの父を受け入れようと勤めるNiko.

孫娘Tildaは、おじいちゃんの言動におおらかな対応で、
諭すようにひとつひとつ丁寧におじいちゃんに説明する。
とにかくおじいちゃんの話に耳を傾け真剣に対応している孫娘なのだ。

Nikoは、父をアルツハイマー患者のホームへ入居させるしかないと思い始める。

おじいちゃんが大好きなTildaは、おじいちゃんをアルツハイマー患者ホームへ
入れるなんてもっての他と反抗する。

そこで、Tildaは、おじいちゃんとおばあちゃんが出会った街ベネチアへ
二人だけで出かけようと目論む。映画では、おばあちゃんはすでに他界している。
そして、おじいちゃんと孫娘のベネチアまでの旅が始まる。

最終的には、目的地ベネチアにたどり着いたのだが、
そこでおじいちゃんの病状が悪化して孫娘のTildaが誰なのか分からなくなってしまう。

悲しみにくれ、どうしていいかわからず、涙ながらに走り出すTildaは、
二人を探しにやはりベネチアにやってきたパパNikoとママSarahに出くわす。

その後、Sarahは仕事をやめて、主婦として娘と義父の世話をする。
かってのぎすぎすした生活はそこにはもうなく、笑顔一杯の家族生活を始めた。

おじいちゃんはしばらく平穏な暮らしを息子家族と送り、他界する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

孫娘を演じたのは、Emma Schweiger。11才とは思えない好演で、
将来、きっと役者として大きな花を咲かせるに違いない!

Emmaは、今回監督と息子役Nikoを演ずるTil Schweigerの実の娘だ。

また、おじいちゃんAmandusを演じたDieter Hallervorden は、
もともとコミック関係の役者で舞台に立つことが多い。

彼は、この役を演じるために、わざわざアルツハイマー患者のホームに1週間滞在したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドイツも日本と同様、少子高齢化が進んでいる。

昨年、『連合』7月号に「20周年を迎えたドイツの介護保険制度」について
執筆したが、今後も要介護者、そして介護をする家族の抱える問題は、尽きないだろう。
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ブログを書かなくなって半年ほど過ぎてしまいました。

仕事や家族のことで奔走していて、書きたいことは山ほどあったのに
なかなかブログまで手が回らず、気がつけば2014年も終わりに。

今年一年を振り返ってみたくなり、書いてみました。

2014年、仕事の上でも私事でもたくさんの感動がありました。

仕事を中心に振り返ってみたいと思います。
今年の仕事は、フランクフルトで始まって、フランクフルトで終了しました。

2月と3月は、フランクフルト見本市ならびにドイツ国内での
市場調査のため、リサーチとコーディネートを担当しました。
見本市会場では、色々な人とお話しました。

政府機関からのドイツ市場調査というのは、初めてでして、ちょっとドキドキ。

日本のキャリアウーマンの方々の素晴らしいフォローのおかげで、無事終了。
何が待ちうけているのか、毎回新しい仕事を受け持たせていただく時には
興味一杯なのですが、この時だけは、規模も違うし、不安もありましたが
はじめてみれば、過去多数経験した番組制作の手順や人物インタビューと
同じ要領で進めていくことができ、ホッとしました。

何でも、恐れず挑戦してみるものです。
自分がこれまで経験してきたことが、決して無駄になっていないことを
つくづく感じました。仕事を担当しているときは、辛くて、眠くて、本当に
大変なことも、しばらくして振り返れば、懐かしいだけの素敵な思い出となります。

この後は、ドイツ政観のプレスツワーに参加しました。
ケルンとデュッセルドルフのカーニバルがテーマでした。
日本からもメディア関係の方が訪独しました。
この方とは、昨年の夏のプレスツワーともご一緒しました。
昨夏はミュンヘン、シュトゥットガルト、ルストでした。

いわゆるユースホステスは、ドイツが発祥の地。
ミュンヘンではドイツ国内ではじめてユースホステルに宿泊しました。
といっても、二人部屋に一人で泊まったので、窮屈な思いもせず、
清潔で快適な時間を過ごすことができました。

話しが逸れてしまいましたが、6月から9月の4ヶ月は
来年、日本で開催される展覧会における番組制作のリサーチ、
コーディネートを担当しました。

北はハンブルクから、南はミュンヘンまで貸切バスで
あちこち撮影、取材に走り回りました。

展覧会については、来年またご報告したいと思います。

魔女の秘密展

そうそう、前後しますが、合間を縫って執筆もしていました。
インタビュー記事で、特に印象に残った方は、ワルター・コール氏です。
元首相ヘルムット・コール氏の長男ということで、
インタビューもかなり緊張していたのですが、
とても気さくな方でした。

今もニュースレターをいただきくたびに、ワルター氏の思いや
過去のことに触れ、心に響く言葉の数々に、長い長い
レターを一気読みしています。

偉大な首相を父に持つ

10月にベルリン観光局からメールが入りました。
なんと、ベルリンの壁25周年の記念スペシャルイベントに招待してくださると
言うではありませんか!

そして11月7日から9日からはベルリンでイベントに参加しました。
ベルリンまでは自宅から国鉄、ICEで5時間ほど。
乗り換えもないし、本を読んだり、PCで仕事をしていれば
アット言う間に目的地に着くだろうと思い、国鉄チケットの手配を
お願いしました。

折しも、ドイツ国鉄のストで出発直前になり、空路で行くことに変更。

予想していた通り、ベルリンは大変な混雑。
宿泊ホテルはブランデンブルク門近くのホテルでしたので
周辺へのアクセスには本当に便利でした。

といっても、全日プログラムが組まれていたので、自由時間はほんの少しでした。
ベルリンへは、何回も訪問したけど、見学する場所はたくさんあるので
帰ってくると、また行きたくなります。

11月後半2週間は、帰国してました。
そのうち、2週間目は仕事で色々な方と会うことができ、充実した時間でした。

なかでも、11月ベルリンの壁崩壊記念イベントをご一緒した日本人女性ジャーナリストお二人に
東京で再会できたのは、本当に嬉しかったです。

さあ、12月に入リ、山済みになっていた仕事を片付けねばと思っていた矢先、
今度は、フランクフルトでホテルオープンのイベントセレモニーがあるので行って欲しいと
メールが入りました。

日本から戻ったばかりで、時差も調整できていないまま、フランクフルトの
ホテルへ直行。米国資本のホテルですので、米国からのジャーナリストが
たくさん参加していました。

このイベントもプログラムが組まれており、市内観光をしたり
フランクフルト観光局からのガイドさんつきでクリスマスマーケットを
見学に行ったりと、ハードスケジュールながらも楽しい時を過ごしました。

もちろんその間には、プレス会議やオープニングセレモニーと
盛りだくさんの予定が組まれており、それを消化するのがやっとの毎日でした。
空港近くの新ホテルの泊まり心地は最高でした。

クリスマス直前、22日に最後の記事を出稿して、やっと今年の仕事も終わり。

そして、
シュトレンを焼くことができました。

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クリスマスクッキーは、今年は焼けないままでした。

本来は、11月に入ったら、クッキーを焼き始めるのですが・・・・
ここ数年、焼き始める時期が12月にずれ込んでいます。

クリスマスは家族4人で食卓を囲み、一年を振り返りながらの談話。
楽しいひと時でした。

なかでも、息子が国家試験に合格して、歯科医になったことは
至福のニュースでした。

息子曰く、

パパ、ママ、二人の協力がなければ、ここまでこれなかった。
本当に有難う・・・

この言葉で、今年の疲れも吹っ飛びました!


この5年間に、一体何回フライブルクへ行っただろう。
料理を作って持っていったり、落ち込んでいるときには、
励ましに行ったり、医学部学生より過密なスケジュールで
セメスターホリデーもあったかなかったかという事が
何年も続き、その間を縫って、いや、よくフライブルクへ通いました。

特に今年後半の6ヶ月に及ぶ国家試験中は、息子と一喜一憂の日々でした。
試験も無事終了、合格、そしてフライブルク大学病院での
アシスタントドクターの職も手に入れたようです。

という事は、今後もしばらく息子を訪ねてフライブルクへ通うことが続きそうです。

クリスマスの食卓で息子が言うには、すでにヘッドハンティングの打診が
あったとか。ある歯科総合病院から問い合わせがあったそうです。
本人は、大学病院に残りたいので断ったそうです。

いやはや、仕事では、書きたいことがたくさんありますが、今日はこの辺で。

日本は今頃、新年を迎えているのでしょう。

ドイツはこれからです。
年越しそばと、シャンペン、そして簡単な夕食の準備にかかりたいと思います。
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ここ2週間ほど私の車の調子が悪くて行動範囲が狭まっている。
夫(の車)はいつ戻ってくるかわからないので、なかなか時間を調整して
1台の車を使うというのは非常に難しい。

その上天気も最悪、雨の日が続いているので自転車もアウト。
買い物に行っても大きなものや重いものを自転車で運ぶのは
私の力では無理。

私の車は、やっぱり買い替えることにした。
何分モーターの不都合と言うことで修理代も高くつくようですし。

走行距離12万キロだが、これはドイツ式に言うと

「12万キロしか走っていない」とのこと。

買い物やかって子どもたちの送り迎えに使っていただけなので
走行距離もそれほどでもない。

だが、故障がちょくちょくあり、その修理代が毎回600ユーロとか
1000ユーロが飛んでいく!予定外の出費なのでやはりつらいです。

それで新車を買う代理店で今の車を買い取ってもらうことに。

お別れに車の画像を撮りました。
今までお疲れ様でした。有難う!

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そしたら、なんと300ユーロの価値しかないそうです(涙)
モーターが全治していれば2000~3000ユーロの価値はあるようです。
外観はとても手入れが行き届き、コンディション最高ですね・・・と
販売員は言ってたのに・・・・。

個人で売れば、300ユーロ以上で売れるかもしれないようですけど
色々手続きが面倒で、時間もかかるのですべて代理店にお任せ。

新車を調べていくうちに、またまたびっくりする発見がありました。
注文した車は以前より燃費は安いものの、税金と保険が値上がりするとのこと!
小型なのにナゼ?という事で保険会社に質問したら、

「この車種は、若者に人気のスポーツ車で事故が多いから」というではありませんか。

燃費はかなり安くなるとはいえ、これには気がつかなかった・・・・
車種よりも何よりも、私一人で使うのならこれがいいなと思い決めただけなのに。

また一つ勉強になりました!
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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年も2週間過ぎてしまいました。

クリスマスから今まで、しばらく自宅で休養していました。
なぜかというと、昨年末からちょっと体調を崩してしまったからです。

ことのはじまりは、週末以外、毎日通っているスポーツジムで起きたあることから。
一番お気に入りのコース、ステップアエロビックス上級クラスで、
私は、思いもよらず倒れてしまったのです。

ちなみに、このコースは1時間あり、振り付けも毎週違ううえ、ステップの周りを
ぐるぐる入ったり来たりと集中力と体力が必要なかなり激しいスポーツです。

まあ、それが面白くて気分転換になり、毎週火曜日を楽しみにしているのですが。。。

私がふらふらして倒れそうになった場所に、運よく男性の参加者がいて
私を受け止めてくれたので、怪我もなく大事に至りませんでした。

余談ですけど、彼は私の日本語コースの生徒さん。
生徒さんといっても、40代の男性で、
一緒におすしを食べに行ったりしている仲間です。

このふらふらは、またいつもの低血圧からだろうと思っていたのが
その後、何日たってもめまいが回復しないので、医師のもとへ。
PCで仕事をしていると、非常に気分が悪くなるので、困った困った・・・

結果は、平衡感覚の不調ということです。
原因はストレスからくるという、耳鼻科の病気のようです。
2週間安静してくださいということで、
ゆっくりゆっくり過ごすことを命じられたのです。

クリスマスには、大学生の子供たちも自宅に戻りました。
なんと息子もストレスから耳鳴りがして、調子が悪いというのです。

しばらく様子をみたところ、彼の耳鳴りも一向によくならず、
そのうち炎症を起こしてしまった・・・
クリスマス休暇中に大学病院へ行くことになりました。

彼によると、大学では昼食時間が15分という日が何日もあったり、
患者を診察したり、夜からのセミナーがあったりで、
大変なスケジュールの毎日だったとのこと。
もちろん、試験もちょくちょくあるので、勉強もせねばならずで
いやはや、お疲れ様です。

まあ、それが今の彼のやるべきことなので、がんばってくださいね。
親としては、内心かなり心配ですが、冷静に見守ることにしています。

息子も私も耳が原因で、苦しんだ年末年始でした。
いずれにしても、健康第一ということを改めて思い知らされました。

私はようやく、少しづつ何事にも対してやる気がまた出てきたという
ところです。
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