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昨夕、2日間の外出から帰宅しての大ニュース。
ミュンヘンの乱射事件は、全国民を驚愕させた。

事件の詳細をここでは説明しないが、容疑者と合わせて10人が死亡、
21人が重軽傷を負ったという。

事件の発生した金曜日18時頃からは各テレビ局の特番で一晩中
ミュンヘンの様子が放映された。

発砲されたオリンピア・ショッピングセンター(OEZ)はミュンヘンでも最大級の
モールのひとつ。街の北部に位置する住宅街にある。

惨事もさることながら、私がショックを受けたのにはもうひとつ理由がある。

実は、日本のある企業の依頼でモール視察のリサーチおよびコーディネートを担当し、
日本から数人がミュンヘン視察にやってくることになっていた。

訪独日は二転三転し、5月予定だったのが7月に延びたため、
私は通訳として同行できないと断った。

リサーチ中に訪独日が大幅に変わり(これは依頼者の準備期間が変更したり
諸々の理由から仕方なかったとはいえ)、お付き合いできないと思ったからだ。

他の仕事も抱えている私としては、やはりひとつの仕事に何ヶ月も
振り回されることは、諦める方が無難と判断した。

ちょうど週末なので、この企業担当者とは連絡がつかないが
事件当時、ミュンヘンにいなかった、あるいは無事だったことを祈るのみだ。

ニュースでは日本人の被害者は報道されていないので
大丈夫なのだろう。

でも、もし、今頃ミュンヘンにいたら、このOEZモールを視察していたらと思うと・・・
身震いしてしまう。(依頼主とのコンタクトはその後ないので、訪独予定は
把握していない)。

容疑者の奇行に気がついた周辺の住民とのやり取り中、
この男性は「僕はドイツ人だ」と叫んだというが、
ドイツとイランの二重国籍を有する18歳の男性で、モールから1キロほど
離れた場所で死亡していたようだ。

国鉄、私鉄、道路もすべてストップあるいは封鎖されて、
厳戒体制だったミュンヘン。

週末を迎えた平凡な市民の生活が一瞬にして重い空気に包まれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだこの事件については詳しいことはわからないが、つい最近は
バイエルン州のヴュルツブルクで走行中列車の中で男性が斧とナイフを振りかざし、
乗客に襲いかかった。

この件については、Facebookに記したが、
4人が斧で、1人がナイフで負傷した。
そのうち2人は香港からの観光客だ。

列車から逃げようとした加害者は、その後、散歩をしている市民に危害を加えようとした。
そして、駆けつけた警察官に射殺されたという。

なぜ17歳の青年を射殺したかと言う批判も上がっているようだが、
地元メディアによると、青年は駆けつけた警官にも斧を振り上げ、危害を加えようとした。
その斧と警官との距離はほんのわずかで警官も重傷を負う、あるいは命を落とす可能性があった。

警官の身を守るため射殺したのだという。この辺が日本メディアでは詳しく説明されていない。

射殺された17歳の男性は1人で ドイツに入国し、未成年の難民向けの施設で暮らしていた。
1年前、ドイツ南部の街、パサウで難民登録した。

2週間前にヴュルツブルクの近くに住む家庭に引き取られたそう。

今回は、特命捜査班(SOKO)が偶然麻薬事件でヴュルツブルクにいたため、
比較的早く現場に到着した。

もし、この偶然がなかったら、警官の対応も遅れ、
もっと悲惨な結果になっていたのではと思うとぞっとする。

ちなみに、加害者はアフガニスタンからの難民と登録したようだが、
言語専門家の分析によれば、この男性の出身はパキスタンと見解を述べている。

・・・・・・・・・・・・・・

4月現在、身寄りのない18歳未満の青少年6万人が難民としてドイツ国内に滞在しているという。
バイエルン州では1万5千人の青少年が登録されているそうだ。

難民イコール悪人という色眼鏡で見ることは間違っているが、
なかなか難しいテーマだ。

ヴュルツブルクのショックがあってまもなくミュンヘンでの事件。

なんだか、最近のドイツは物騒だ。

今年の3月にはベルギー・ブリュッセル空港及びマールベーク駅で連続爆破テロ事件があった。
その時、私は日本からの客とフランクフルトへ飛ぶためベルリン・テーゲル空港にいた。

私たちの搭乗便は予定通り飛んだが、何時どこで何があるかわからない昨今。
フランクフルトに無事着陸してホッとしたのを今でも鮮明に覚えている。

市民は、今あるこの時間を大切にして生活していくしかないのか。
突発事件であれば、対応も出来ない。
不安な毎日だ。
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by foodwatcher | 2016-07-23 17:31 | 生活情報袋

ドイツの自動車業界が大変なことになっています。
一昨日の爆弾ニュースにドイツ人もびっくりしている。

それは9月20日に、米国の排ガス規制検査で不正を行っていたことを
フォルクスワーゲン社が認めたからだ。

同社の2009年から2015年に生産されたディーゼル車の
検査で、不正を働いたと米環境保護庁が指摘した。

このニュースを聞いて、きっとドイツ自動車業界に
多大な影響を及ぼすと思った。

案の定、昨日のVW優先株は20%のマイナス。
それだけでなく、BMWやベンツ株もとばっちりを受け、株価は下降している。

なぜ、VWのような大手企業がこんな不正を堂々と行っていたのか不思議。

VWのCEOマルティン・ウィンターコルンCEOは辞任をしないと言い張っている。
後任者はポルシェのあの方らしいという噂も立っているようだ。

ドイツ人の多くは米国責任者と共にヴィンターコルン氏も辞任すべきという声が多い。

VWのニュースがあった日、早速スイス・バーゼル在の義姉から電話があり、
話題はこのニュースで持ちきり。

こんな時、ふと思う。ニュースを見て親族ですぐ電話しあい、議論するとは
いかにもドイツ人らしいと。 そうだ、彼女はすでにスイス人なのですが・・・・

昔はそんな議論をすることさえもできない語学力でおろおろしたものだ。
今も、ドイツ語は決してバーフェクトではないが、それでも話し合うということは
やはり自分の意見を持っていないと続かない。

義姉も我が家もVWの株を有しているわけではないのに、
久しぶりに電話で熱くなってしまった。
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by foodwatcher | 2015-09-23 18:32 | 生活情報袋
まさかの飛行機墜落事故が起こり、非常にショッキング。
ジャーマンウィングスは、私も仕事でドイツ国内を動く時に利用する航空機のひとつだ。

帰らぬ人となったギムナジウムの生徒16人と教師2人は、帰独中だったという。

ドイツメディアによれば、
バルセロナ周辺の高校生との交換プログラムでは、
当初、スペイン行き希望生徒は40人ほどいたそうだ。
それが、最終的に14人選定され、その後2人が加わったそう。

私も子供を持つ親として、親族の悲しみは本当に計り知れない。
心からお悔やみ申し上げます。

そして教師の1人は半年前に結婚したばかり。
もう1人は、まもなく結婚をする予定だったという。
昨日、同校の校長がインタビューで明かした話しだ。

人生の設計図が一瞬にして崩れてしまった。
なんということか。

以前、ルフトハンザの乗務員にインタビューをしたことがある。
その男性によれば、ルフトハンザは安全面に他の航空会社より
1.5倍費用をかけているといっていた。

節約する時にはばっちり節約するけど、必要な面では
惜しげなく投資する・・・・ドイツ人らしい考え方だと思った。

その話しを聞いてから、私は国際線をはじめ、乗るならルフトハンザと決めている。
少し短絡的かもしれないが、やはり安全第一だから。

ストで足止めになった経験もあるし、最近は機内食も質が落ちてきた感もあるが、
それでもめげずルフトハンザを利用している。

今回犠牲になったドイツ人は計72名。
昨日の発表では67名だったから、5名が乗務員だったことになる。

ギムナジウムのあるノルトライン・ベストファーレン州 ハルターン・アム・ゼーは、
小さな街で、住民はそのほとんどが顔見知りだという。

そして、ジャーマンウィングスはルフトハンザ傘下の小規模企業だ。
だから、パイロットにしても乗務員にしても、ほとんどが顔見知り。

そんな背景で、事故後、乗務できないという心境が非常によく理解できるし、
人間として、当然のリアクションだと思う。

まあこれは、傍観者としての意見であり、当日搭乗する客にしてみれば、
迷惑この上ないことも理解できるが、私が搭乗者であったとしたら、
怒ったりはしないだろう。あまりにも悲惨な事故だから。

最新ニュースで、アルプスの山岳地帯に墜落する前に、
パイロットの1人が操縦室を出て、その後戻ろうと思ったのに
操縦室の扉は閉まったままで、室内からの反応がなかったという。
これからまた情報が入るだろう。

いずれにしても、しばらくは目が離せない悲しいニュースだ。
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by foodwatcher | 2015-03-26 20:35 | 生活情報袋
昨年、ドイツのリサーチとコーディネートを担当させていただいた、魔女の秘密展が大阪で3月7日土曜日いよいよ開催となりました。 

ちなみに、Yahoo News では別のテーマで一般公開前の様子が公開されているのを知りました。

さて、時を同じく、というか全く偶然でしょうか,独ZDFで魔女狩り、魔女裁判について非常に興味深いドキュメンタリー番組が3月2日に放映されました。

番組終了後には、ドイツの歴史家による当時の解説が詳しくあり、こちらも素晴らしい内容でした。

欧州の魔女狩りはスイスで始まったといわれていますが、魔女と宣告されてなくなった人は欧州で6万人にも上るといいます。現在、バンベルクのようにオリジナル資料が残っていない街も多々あると思うので、実際に魔女狩りの被害にあった人の数は計り知れません。

この番組で取り上げられたバイエルン州のバンベルクは、大司教都市、ビール、そして大学都市として有名な街です。旧市街はユネスコの「人類の文化・自然遺産」として登録されています。

番組は1630年にスポットを当てて、魔女裁判を紹介しています。バンベルクの魔女狩りのピークは、1626年から1631年で、この間、なんと1000人ほどが魔女狩りでなくなったそうで、当時のバンベルク住民の1割だったということです。

なぜバンベルクがこの番組で取り上げられたかというと、ドイツ国内で当時の裁判におけるオリジナル資料が一番多く保存されているからとのことです。

ヴィキぺディアによれば、
バンベルクは魔女狩りの中心地の一つであった。魔女狩りの時代、バンベルク大司教ヨハン・ゴットフリート1世・フォン・アシュハウゼン(1609年 - 1622年)及び次代のヨハン・ゲオルク2世・フークス・フォン・ドルンハイム(1623年 - 1633年)の指導下、大規模な魔女狩りが行われた。

同様の大規模な魔女狩りは、ヴュルツブルク大司教領やマインツ選帝侯領など、ドイツ南部で行われた。
1612/1613年から1617/1618年の間に、バンベルク司教領で300人が薪の上で炎に焼かれた。特に1617年には、この司教領で102人の人々が処刑された。最も有名な犠牲者は、市長のヨハネス・ユニウスで、1628年8月に魔術師監獄での拷問を受け死亡した。


とあります。

私が知らなかったのは、拷問の回数です。歴史家の解説によれば、拷問は3回までが原則だったとか。その間、無罪を主張し続けた(そして、生き残れた)人は解放されるべきだったようです。

とはいえ、当時は決まりがあってないようなもの。なかには拷問を8回受けた人もいたそうです。ただただその強靭な意志、魔女であるというウソを認めなかった姿は想像を絶します。

「魔女の展覧会」をテーマにドイツではロケハン、本ロケと2度に渡り、魔女の歴史を追いながら取材をしました。訪問する先々で拷問器具を見るたびに、色々想像してしまい、私には、拷問に耐えた人がいたということに驚愕しました。

番組の中でも拷問シーンがいくつかありましたが、やはり目を閉じてしまいました。拷問を受けた人の悲鳴を聞くだけで、どんなにむごいか、簡単に想像できます。

そもそも魔女といわれた市民のほとんどは口コミ、つまり密告で検挙されたのだという。家族内でも告発があり、子供が母親を魔女といったり、もちろんそれまで親しくしていた隣人や助産婦(産婦が助けを求めたため、手助けに出向いたが、おなかの中で胎児は死産だったことを恨んでなど)が魔女であるしるしと告発することもあったようです。これらのシーンが番組には見事に再現されていました。

番組の中では、父親の経営する当時の薬局を手伝っていた女性が、魔女として告発されました。薬草を使って、病状を和らげることで人々に信頼されていたこの女性も、いつの間にか、憎しみの対象となったようです。

当時は、病気の流行に太刀打ちできなかったり、6月に雪が降ったりという悪天候の影響で農作物も全滅と、市民の怒りや恨みつらみのはけ口として、その責任を魔女に負わせるに至ったといわれています。

日本では、往々にして助産婦イコール魔女、あるいは薬草を用いて治療した人、(昔の薬剤師と想像すればいいだろう)これらの人たちイコール魔女という説もあるようですが、番組に出てきた歴史家によれば、それは違うという。結論として、あくまでも魔女といわれた人の中に、たまたま助産婦や薬草に長けていた人がいたというだけのこととか。

当時は、一般市民が森に入っていくことは禁止されていたという日本の専門家もいるようですが、これもどうやら違う模様。もちろんその町の富豪や聖職者所有の森には立ち入ることはできませんでしたが、一般の森に足を踏み入れることは許されていたとのことです。

ですので、森の中で薬草やきのこを摘んだり、森への散歩はできたそうです。これについては、ドイツのある博物館で学芸員にインタビューした際も、同じ答え・・・「森に入ることは許されていた。ただし所有者のある場所へは不可」が返ってきました。

今回、お仕事をいただいて、魔女についてリサーチしていくうちに、色々な本に出会いました。

なかでも、魔女の鉄槌(Malleus Maleficarum)はハインリッヒ・クラーマーによって書かれた魔女に関する本です。もちろん内容は現代版です。中世における魔女理解のエッセンスといわれており、魔女に関しては最も有名な本です。

また、ロケでご一緒した山田五郎さんは、気さくな方でコーディネートとして大変仕事を進めやすかった方です。やはり西洋美術専門家だけあって、その知識の広さには、私も色々と勉強させていただきました。

同じ釜の飯を食うではありませんが、夜中のケルンを歩きやっと夕食にありついたのが12時頃と、クレイジーなスケジュールでしたが、今思うと懐かしい限りです。

「魔女の秘密展」は、大阪終了(5月10日)後、新潟、名古屋、浜松、広島、福岡で開催されるそうです。秘密展ホームページで紹介されている魔女街道は、一般観光客が足を運ぶにはちょっとアクセスしにくい場所もありますが、ひと味違ったテーマを追ってドイツの旅をするのもいいかもしれません。
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by foodwatcher | 2015-03-09 06:03 | 生活情報袋

すっかり遅れてしまいましたが、新年のごあいさつです。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年のご挨拶をしないまま、本末転倒で、
昨日ツイッターにて独メルケル首相の怪我について報告しました。

首相は、クリスマス休暇先のスイスでクロスカントリーを楽しんでいた時に転倒したようです。
今後3週間ほどは国内外の予定をキャンセルせざる終えないそうです。
首相は一部業務を自宅で進めるという声明が政府報道官ステファン・ザイベルト氏よリありました。

さて、しばらく更新してませんでしたが、ドイツのクリスマスは昨日1月6日に終了しました。

新年にクリスマスが終わるって聞いたことないかもしれませんね。

実は、クリスマスが終わるのは1月6日の三王来朝の日なんですよ。
ですのでこの日は祝日でお休みなんです。州により休みでないところもありますが。

1月6日はキリストの誕生を聞いて三人の賢者が星に導かれてやってきた日で、
この日にクリスマスツリーを片付けます。

これでクリスマス行事が終わり、新年が始まるのです。
我が家のツリーもこれから片付ける予定です。

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さて、ここで我が家のクリスマスを振り返って見ました。

やっぱり焼きました、クリスマスシュトレン!

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ドア用のリースも慌てて作りました

昨年後半は仕事で時間がなくてクッキーもシュトレンも焼けなかったのですが、
シュトレンのないクリスマスはガリのないおすしのようなもので、大変寂しくなりました。

いつもは11月はじめに焼いて、4週間ほど寝かしてから食べてます。
そうするとしっとりして美味しいんですが、いえいえ寝かせなくても
やっぱり手作りは美味しいことがわかりました。

2個作りましたが、もうなくなりました。

さて、昨年の仕事収めは、23日J-WAVEクリスマススペシャルに
出演させていただいたのですがその時の感想を。

それまでショーンKさんを存じ上げなかった。
検索してみるとイケメン、頭脳明晰と、とても素敵な方のようですね。

話しは逸れましたが、ショーンさんの巧みな会話につられて、私も大変リラックスでき、
ドイツのクリスマスについてお話できました。

スタッフの方と事前打ち合わせがありますが、それでも実際に話しを始めると
緊張しておろおろするかもと思ってました。

でも、話が始まると、会話のキャッチボールも楽しみながら対応することができました。
ショーンさんありがとう!感謝!

お話の中でドイツの料理といえばソーセージ、
そして飲み物はビールというイメージがあるというでしたが、
これについてはまたの機会に書いてみたいと思います。

ドイツ料理はあんまり知られていないのでとても悲しいのですが、
本当においしいものがたくさんあります。

でも観光でいらっしゃる方々は限られた時間の中でたくさん観光をしたいでしょうから、
予約をしてまでも有名レストランで本格的な料理を食べるという時間が取れないのでしょう。

そのためソーセージとビールの国という印象が大きいのでしょうか。

さて、24日の聖夜、いわゆるクリスマスイブに、クリスマスツリーを飾るのが、伝統的。
といっても、12月に入ればあちこちでクリスマスツリーが販売されているので、
聖夜以前に買ってデコレーションする家も多いです。

我が家では、時間がないことから直前にツリーを買うだけで、
伝統を守っているわけではありません(笑)。

ツリーのデコレーションがすむと、プレゼントを木の下に置きます。
プレゼントを開けるのは、夕食が済んでからです。

25日、26日はクリスマス祝日で会社や公共機関はすべてお休みとなります。
24日は午前中だけ勤務という会社もあります。

いずれにせよ、この3日間は、日本のお正月三が日と雰囲気は似ているのかもしれませんね。
24日聖夜は家族や身内だけで過ごします。

25日や26日に久しく会っていなかった親しい友人や知人を招いて食事をするのが一般的。

家族で食卓を囲み、今年一年あったこと、来年どんな事をしたいか、
旅行に行きたい場所などを話します。

旅行といえば、ドイツでユニークなのは、このクリスマス休暇に
来年の休暇計画を立てる家族が多いんです。

早割価格でパッケージツワーだったら、20~30%割安になるからです。
子どものいる家庭では、来年の復活祭休暇や夏休みの行き先をこの時期に決め、
クリスマス祝日後や新年早々に航空券やホテルなどの予約を入れます。

旅行好きのドイツ人ならではだと思います。

我が家は休みが続くと必ず行くところがあります。

それは美術館。普段美術館や博物館に行くだけの時間を思うようにとれないので、
この時とばかり、皆で行きます。

今回は、マンハイムの美術館へドライブがてら行きました。
プログラムにはMax Beckmann とあったけど、Otto Dixの作品もたくさん出展
されており、見ごたえがありました。

我が家のクリスマスディナーは、チキンローストでした。
その前年は鴨の丸焼きでしたが、毎年色々挑戦しています。

チキンにマロン、クランベリー、かぼちゃ、タマネギや香料などなどを詰め、
オレンジジュースと白ワインをたっぶりかけてオーブンで2時間弱焼きました。

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チキンがそれほど大きくなかったので、もしかしたら肉がぱさぱさしてしまうんではと
心配しましたが、予想外にジューシーなローストチキンとなり一安心。

前菜にサラダやアンチパスタを食したので、このチキンでも充分お腹一杯になりました。

こんな感じでクリスマスも終了し、新年を迎えました。

今年はこれまで暖冬で寒いという思いをしていないのですが、冬はまだまだ続きます。

健康第一、今年もマイペースで夢を実現させたいと思います。

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2014年最初の花束をいただきました
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by foodwatcher | 2014-01-07 21:14 | 生活情報袋

確か今週水曜日の朝刊だったと思う。
ドイツのF1ドライバー・セバスチャン・フェッテルの彼女が
妊娠5ヶ月というニュースが載ってました。

セバスチャンの彼女は、ほとんど公の場に出ません。

彼の希望もあって、公私をきっぱり区別したいということで、
彼女に関する情報があまりありませんが、ギムナジウム(日本の高校に匹敵)で
知り合ったそうです。

彼女ハナさんが妊娠したことで、結婚も真近?という話で持ちきりです。

私はF1ファンではありませんが、セバスチャンという人間が大好きで
彼のファンになりました。

優勝するたびにインタビューで、彼は両親への感謝の気持ちを表しています。

彼の両親は子どもが4人います。決して経済的にも余裕があったわけではなかったけれど、
セバスチャンの願いを聞いて、両親はお金の工面もし、週末といえば、
カート練習をサポート、レースであちこちに出かけ、多大な時間を割いてくれたそうです。

そんな甲斐あって、彼は今や世界一のドライバーとなりました。

セバスチャンは、常に両親を尊敬し、自分の原点を忘れることはありません。

「優勝金で両親に何かプレゼントしますか?それとも金銭的な援助を?」というような、
どうでもいいメディアの質問に対し、

彼は「お金うんぬんという話ではない。自分が今ここにいることが出来るのは両親の支援があってのこと。
そんな両親に自分のできる限りのことをしたい」と。

そしてレースが終わると両親に会いに行くそうです。

なんと心温まるお話でしょうか。毎回、彼のインタビューをニュースで聞くたびに感激してます。
私が二人の母親ということもあるのでしょうが、やはりぐっと来てしまいます。

でも、セバスチャンのおごることなく、地に足のついた人柄に感動しているのは、
私だけではないと思います。
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by foodwatcher | 2013-12-14 20:44 | 生活情報袋

玄関側にすくすくと育っていた竹林の一部をやっと庭のすみに引越しすることが出来ました!


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今度はテラスからも家族の食卓からも眺めることができるようになり、
大変気に入っています。この竹は、バーデンバーデンの竹専門店で買ったもの。

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この竹を買った当時は、ドイツでも幹の太い竹が出回っておらず、リサーチして
やっと見つけた竹です。

車庫から玄関まで歩いてくると、ちょうど入り口に
竹が見えるように植えたのですが、それが根が張りめぐらし
幹も太くなりました。

一応、大きなバケツのようなもので根を囲い、植えたのですが、
やはり生命力がある竹はすくすく育ちすぎ、なんと根っこが
となりの家まで伸びてしまったのです。

ちなみに、ドイツでは敷地内に隣家の草や木が進入してきた場合は、
断らずとも、処理できる、つまり切ったりできるのです。

そして一戸建て家屋も敷地境界線から3メートル間隔を置いた場所に
建てることなど細かい規則がたくさんあります。つまり、敷地の境界線ぎりぎりに
家を建てることは出来ないのです。

景観を保つためというか、プライバシー尊重というか、
でもタウンハウスとかは例外です。

今回も裏の隣家のおじさんが竹が我が家にもやってきたと
言うので、一部竹の引越しとなりました。

そのおじさんは決しておこっていたわけではなく、ただ教えてくれただけ。
言ってもらわねば気がつきませんでした!

ちょうど、我が家の裏にはラズベリーがたくさん実っているので
育ちすぎた竹の一部は、邪魔になっていたのも事実。

地面から根っこを掘り起こす作業が大変でお手伝いの庭師と
夫、ちょうど帰宅してきた息子の大男3人で2時間以上もかけ、
やっと竹の引越しが済みました。

今夜のご褒美、先ず
前菜はモッツアレアチーズとトマト、そしてリースリングでした。

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地下にあるワインセラーから、引っ張り出してきたワインですが、
一体誰が買ってきた?あるいはプレゼントでいただいたもの?か不明で
味をどのように表現したらいいのかわかりません・・・・が美味しかったです。
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最後に、しばらくブログ更新しませんでした。
その間、訪問して下さった方にお礼を申し上げます。
春から夏にかけ、新しい挑戦や片付けねばならない事、
諸々がありました。

それでもライターとしての仕事はボツボツ進めていますので
よろしくお願いします。
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by foodwatcher | 2013-08-31 17:49 | 生活情報袋
ヒトラーがベジタリアンだったという説は、以前からあったようだ。
それを裏付ける事実を語り始めた一人のドイツ人女性がいる。
ヒトラーの毒味役として、死の恐怖に震撼し続けたマルゴット・ヴェルクさん(95)だ。


ヒトラーはベジタリアンでした

料理はどれも美味でした。アスパラガス、エキゾチックな果物、
本物のバターやコー ヒー、新鮮な野菜も豊富に使われた料理で、
一般庶民が口にすることの出来ない食材を口にすることが出来たのです。

しかしその味を満喫することはできませんでした。
一口飲み込むごとに、これが最後になるかもしれないと震えていました・・・
マルゴットさんは当時を振り返り、話し始めた。

豪華な料理をヒトラーが食する前に、毒味をするのがマルゴットさんはじめ
合計15人の若い女性(20代)だった。
2年半、どんな思いでこの役目を務めたのか、マルゴットさんの証言は続く。

それは1941年冬のこと。マルゴットさん(24)は、
ベルリン・シュマルゲンドルフに両親と一緒に生活していた。

その実家が爆弾で破壊さ れてしまったため、マルゴットさんは
オストプロイセン(東プロイセン・現在、その大部分はポーランドとロシア、
北端の一部がリトアニアの統治下)にあった 夫の両親の家へ非難した。

1933年に結婚した夫カールは、軍人として召集されたため、
爆弾が落ちた時には不在だった。夫の両親宅へ逃げ込むしか選択肢がなかった。

この義父母家の所在地がマルゴットさんのその後の人生を大きく変えるとは、
夢にも思っていなったと振り返る。

義父母の家からわずか2,5キロほど離れた場所にヒトラーの総統大本営
ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)があったことを知ったのは、引越し後のことだった。
その街の市長もナチだったそうだ。

やっと義父母の家に落ち着いたと思った矢先、目の前にSS(ナチス親衛隊・Schutzstaffel)が現れた。
「一緒に来い!」とSSにいわれ、マルゴットさんはついていくしかなかった。

彼女が到着したのは、ナチス大本営近くにあるバラック小屋だった。
この小屋の2階(日本式だと3階)に、ヒトラーの食する料理を調理するキッチンがあった。

マルゴットさんは、このキッチンで毒味役として働くことになったのだ。
その当時、連合軍がヒトラーを毒殺するという噂が立っていたため、毒味役が必要だった。

「肉を使った料理はありませんでした。ヒトラーはベジタリアンでした」と、マルゴットさん。

「料理は美味しかった、というか、本当に絶品でした。でも、それを満喫することはできなかった・・・」
料理を口にするたびに死ぬかもしれないと恐怖に慄いていた。

毒味後、その料理が安全とわかると、SSはヒトラーの待つ本営に運び込んでいたという。

毒味役を言いつかった女性たちは、それぞれ自宅で過ごし、毒味が必要な時に召集されたそうだ。

毎朝8時になると、義父母家の前にSSが現れ、叫んだ。「マルゴット、起きろ!」。
そしてSSは、マルゴットさんをキッチンへ連れて行った。

毒味をしたのは、ヒトラーが大本営ヴォルフスシャンツェに滞在していた時だけだった。
毒味役として仕えた2年半の間、マルゴットさんはヒトラーを一度も見たことがなかったという。

シュタウフェンベルクの暗殺計画ですべてが変わった


1944年、ドイツ陸軍の国内予備軍参謀長シュタウフェンベルクは、
ヒトラー暗殺計画を目論み、総統大本営ヴォルフスシャンツェに時限爆弾を落とした。

「ヒトラーが死んだ!」と誰かが叫んだ。だが、ヒトラーは、軽症を負っただけで生き延びた。

この暗殺計画により、大本営周辺の警備が一段と強化された。
毒味役だった女性たちも自宅から通うことは禁止され、
大本営近くの旧学校校舎で生活をすることになった。

まるで、檻に閉じ込められた動物のようだった、と淡々と語るマルゴットさん。
ある晩、生涯忘れることのできない事件が起きた。

はしごをよじ登って一人のSSが、旧学校校舎内のマルゴットさんの部屋に忍び込んできたのだ。
そしてマルゴットさんを強姦した。

「あの時ほど、無力に感じたことはなかった・・・・」と、マルゴットさんの声に戦慄が走る。

後日、ソビエト赤軍がナチ大本営から数キロ離れた場所にやってきたことがわかると、
ある中尉が毒味役の女性たちに、「逃げろ!」といって、彼女たちを解放した。

マルゴットさんは、この中尉のおかげで命拾いをしたことに感謝している。

戦争終了後、ベルリンで偶然その中尉に遭遇した。
彼は、毒味役の女性たちはロシア兵隊に全員銃殺されたらしいと語った。

マルゴットさんは、ある医師宅の地下に隠れ、生活を始めた。
折しも、逃亡者を抹殺するためSSがその医師宅へ押し入って来た。
だが、この時も運よく、マルゴットさんはその場を逃れて命拾いをした。 

赤軍がベルリンにやって来た


実家のあったシュマルゲンドルフにマルゴットさんが戻ると、
ベルリンにやってきた赤軍ロシア兵に腕をつかまれた。

そして2週間にも及び、そのロシア兵はマルゴットさんを強姦し続けた。
兵士の暴行と残忍な行為により、マルゴットさんは子どもを産めない身体となってしまった。

「あの時、本当にどうしたらいいかわからなかった。命を絶とうと思った」と、声を震わせるマルゴットさん。

1946年、夫カールさんに再会した時から、またマルゴットさんに希望と生きる力がよみがえった。

戦場での辛辣な体験と拘留期間を過ごした夫は、
その壮絶な体験を少しづつ妻マルゴットさんに語り始めたという。

その後、二人は34年間楽しい夫婦生活を過ごしたそうだ。

「ユーモアは忘れていませんよ」

生死を賭けたすざましい人生を過ごしてきたにも関わらず、
マルゴットさんは、いつも陽気に過ごし笑顔を忘れないよう心がけているそうだ。

過去は過去、事実として受け止めて、あまりドラマチックに考えないことが
マルゴットさんの生きる術だという。

マルゴットさんは、これまで一度も暗い過去を話すことはなかった。
自分の恥部をさらけ出すことに抵抗を感じていたからだ。

今回、自身の過去を話すきっかけとなったのは、95歳になったマルゴットさんの自宅へ、
地方紙ジャーナリストが祝福のためインタビューに訪れた時だ。

これを機会に、マルゴットさんはかっての体験を明かすことにした。

「私はただ過去を話しただけです。ヒトラーは本当に残虐だった」

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このインタビューは、昨年末、ベルリン西部のシュマルゲンドルフの
マルゴットさん宅で行われました。

現在住んでいるこの家は、彼女の実家です。つまり95年前、
彼女が生まれた場所・部屋で今マルゴットさんは生活しています。

さて、ドイツをもっと知りたいあなたへ!

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、ヒトラーはブラウナウ生まれのオーストリア人です。

ヴィキぺディアによれば、オーストリアはドイツ民族の一部と見なされていた為、
ヒトラーもドイツ人とされていたようです。

また、3歳の時、家族とドイツ南部のパッサウに引越しした、
後にドイツ人に帰化した、というような説もあるようです。

ドイツに滞在後、ウィーンに戻ったヒトラーは、受験には失敗したのですが、
ウィーン美術アカデミーで勉学したかったようです。

もし、ウィーン美術アカデミーの入学が許されていたなら、
ヒトラーはウィーンに滞在したでしょう。

そうすれば、歴史は全く違ったものになっていたかもしれません。

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この記事はYahooNews 個人
シュピッツナーゲル典子のドイツをもっと知りたいあなたへに寄稿した記事です。

こちらへどうぞ
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by foodwatcher | 2013-04-17 18:19 | 生活情報袋

昨日12月20日は、グリム童話が初出版されて200周年という
記念ある日でした。

他の仕事で忙しかったので、全く気にかけていなかったところ、
夫が、「お~ィ、FAZフランクフルトアルゲマイネ紙にグリム童話のことが
載っている! 兄弟の中には、この童話のイラストを書いた人もいたのか・・・」と。

「はいはい、ありがとう。
今年も日本通運欧州版ペリカンで色々執筆させていただいたので
すでに記事として公開済み。私もそのこと書いたのよ」と私。

ペリカンヨーロッパの街角から6月号より。

胸躍るメルヘンの世界へ
グリム兄弟博物館


 
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世界中で愛読されているグリム童話が出版されて今年で200周年を迎えた。
これを記念してグリム兄弟博物館では、新しいコンセプトによるさらに充実した展示「兄弟の生涯と作品、
画家の弟ルートヴィッヒ・エミール」と「子どもと家庭のメルへン集」が開催され、人気を集めている。

館内の見どころは、ユネスコ世界記録遺産に登録されたグリム童話の手書き原稿。
初版本には「ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」「ブレーメンの音楽隊」など156編が収められているが、
現在では約250話を読むことができる。

また、あまり知られていない画家の弟ルートヴィッヒに関する展示もあるのでお見逃しなく。
ルードヴィッヒは、同童話集で挿絵を手がけたことでも有名だ。

同博物館は、ヤコブとヴィルヘルム兄弟が30年以上過ごした
ドイツ中部カッセル市にあるべレビュー宮殿内にあり、
1959 年カッセル市とグリム兄弟協会により設立された。

グリム童話の愛称で知られる作品「子供と家庭のメルヒェン集」は、
兄弟がドイツの伝承昔話を後世に残したいと身近な女性たちから昔話を収集し、
それを編集したものだそうだ。

 
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フランクフルトに近い兄弟生誕地ハーナウから北海 のブレーメンまでの
約600キロに及ぶグリム兄弟の足跡とメルヘンゆかりの地を巡る
「ドイツ・メルヘン街道」の散策やサイクリングもお勧めしたい。

画像は、公開記事用としてカッセル市に承諾を得て許可をいただいたものです。
そのため、転写・転用をしないでくださいね。
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by foodwatcher | 2012-12-21 19:14 | 生活情報袋

ドイツのクリスマスマーケットといえば、
ニュルンベルク、ドレスデン、シュトットガルトの
三大クリスマスマーケットが有名です。

それ以外にも、
素敵なクリスマスマーケットが全国各地にあります。

中世の摩天楼都市・ウルムもお勧めのひとつです。

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by foodwatcher | 2012-11-28 20:28 | 生活情報袋