ロマンチック街道60周年その1

ドイツの観光スポットとして最も人気のある街道『ロマンチック街道』が今年で60周年を迎えた。

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日本では昨年から雑誌や広告が大々的に出ているようだが、ドイツ政府観光局によると、日本人観光客は年間20万人以上にも上るそうだ。

長くドイツに住んでいるのに、この街道上の街をほとんど訪問していない私は、一年発起して、暇に任せて出かけてみることにした。 

観光ガイドやツアーでは知る事のできない秘話をお伝えします。
まずは、ロマンチック街道起点の街ヴュルツブルクです。

上の画像は、ロマンチック街道の標識です。見えにくいかもしれませんが、右下に日本語でロマンチック街道と記されています。

ちなみにこの街道沿線上の街では、日本語の観光スポット標識があちこちで見受けられます。日本人の観光客が多いことの証明ですね。

ロマンチック街道とは

 ロマンチック街道の起源は、ローマ帝国時代にローマ人たちによって作られた街道で、ローマと結ぶために整備されたという。中世には交易路として使われた街道で、商人や職人たちが沿線上の街に集まるようになり、ロココやバロック文化の中心地として栄えた。

  第二次世界大戦後、ドイツは敗戦国というネガティブな印象を払拭したいと、この地域一帯の観光地化に着手した。米国の将校たちが家族と共にこの地方で盛んに休暇を過ごしていたことに目をつけ、国内外の訪問客を魅了する観光地として活性化させたいと、1950年、ヴュルツブルク、アウグスブルク、フッセンの市長が共同で「ロマンチック街道協会」を設立した。

  日本でも1979年代以降、ドイツを代表する観光スポットとして注目を浴びるようになり、ロマンチック街道の名は徐々に世界中に浸透していった。ドイツには政府観光局や地方自治体が主体となりテーマを設定した観光街道(メルヘン街道、ゲーテ街道、ワイン街道など)があるが、その中でもロマンチック街道は一番古い街道である。

 この街道は、ドイツ中部のヴュルツブルクからアルプスの入り口フッセンまで28の街を結ぶバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州にまたがる全長約366キロのルートをさす。

司教の街ヴュルツブルク 
 
 バイエルン州のヴュルツブルクは、ミュンヘン、ニュルンベルク、アウグスブルクに続く4番目に大きな都市で、フランケン地方(ドイツ南西部から南ドイツの北部)の中心都市である。日本では特にロマンチック街道の起点の街、フランケンワインの名産地としてよく知られているが、教会、ゴシックとバロック建築の豊富な大学の街としても有名だ。 

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 紀元前約1000年には、すでに現在のマリエンブルク要塞がある丘マリエンベルク(聖母の山)にケルト人の砦、丘の麓には集落があったらしい。

 司教〈カトリック教会の位階のひとつ〉の管轄区となった8世紀ころには、キリスト教の布教者たちがこの街に足しげく通った。11世紀には、皇帝コンラート2世から貨幣を鋳造する権利や税金を取る権利、市場を開く権利などの都市権を得て繁栄した。

 12世紀になると、バルバロッサ(あか髭)と呼ばれた皇帝フリードリッヒ1世(ホーエンシュタウフェン家)が、ヴュルツブルクの司教ヘロルドを公爵に任じたことから司教領主「フランケン公」として勢力を増していった。ワインの生産、集荷、と販売の中心地となり、マイン川、ライン川、ドナウ川と3つの川を運河で繋いでいた事から、ヨーロッパ中に物資を集散させる水運の街として発展したようだ。

 1815年にバイエルン王国に併合、第二次世界大戦末期1945年爆撃を受け、この街のほとんどが破壊した。

 前書きが長くなってしまったが、まず、街全体の様子を知りたいと思い、ヴュルツブルク中央駅から出発する市内観光バスに乗った。1人10ユーロでおよそ2時間のツアー、同乗したガイドが街の歴史や観光スポットを細かく説明してくれた。

 尖塔が目を引くフランケン地方のワインの守護聖人キリアンを祭った大聖堂、ノイミュンスター教会、アウグスティーナ教会や旧市庁舎などお勧めの観光スポットを経てバスが街を1周。その後バスが出発点の駅にもどる帰路にレジデンツ広場で降りて、この街第一の人気スポットレジデンツ宮殿に向かった。

続く
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by foodwatcher | 2010-11-11 00:45 | 生活情報袋